選択。 | 美味しいって笑おう♡

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10年間におよぶ深刻な摂食障害から
それはそれは大きくて温かな学びと
愛の本質を知る喜びを体験しました。
すべてが必然すべてがギフトです♡
ここからありったけの「ありがとう」を込めまして。



私はそもそも、人生の捉え方に問題があったと、今感じている。


何か明確なゴールや正解があるのだと思っていた。
大人として一人前になることは、そのゴールを手に入れることだ、と。


でも、いつからか、どこまで行っても辿り着けなくって、どこまで走ればいいのかわからなくなってきた。

息継ぎすらせずに、得体の知れない強迫観念に追い駆けられて、気付いたら骨と皮になってた。


本当は、違ったのかもしれない。


人生は、『選択し続けて行くこと』、なのかもしれない。その選択の積み重ねこそが、前へ歩むということ。


実は、幼なじみがこの度、離婚を決意した。
彼女には二人子供がいる。しっかり仕事を持っているから、決意できたのもあるけど、やはりそこには多大な勇気が必要だったはず。

彼女が19歳で結婚出産した時、私にはそれが『明確なゴール』として目に映った記憶がある。


『形有るもの』がゴールか?


例えば。

立派な仕事に就いたら、それはゴールか?
結婚出来たら、それはゴールか?


違う。

それは、いつもスタート地点。
常に、既に、それは過程の中の一つの点でしかない。

その点の先に、また点を創り、それをいつも繋ぎ合わせていくことで、私たちは線を見出だすことが出来る。そして大切なのは、その中に、いかに自分自身の喜びを見つけるか、ということ。なぜなら、その喜びが、他者を愛し想う力に変わるから。


私は、彼女の勇気を心から讃えたい。人生の選択をおこなっている、その姿が尊い。


『選択』。

それは、人生を創ることそのもの、にも思える。


私たちは日々、様々な情報、聴衆の声にさらされて生きている。
その中には、嘘、破壊、非難、中傷…残念だけれど、そういう汚れたものも多く含まれている。
それをいかに取捨選択できるか。

私には、その力が欠けすぎていたと思う。
何から何まで全て真正面に向き合い、背負ってしまっていた。
人間は、すべてに対して〈善〉であることなど不可能なのに…。


例えば、ダイエット情報、もっと飛躍すれば、世間という聴衆からの非難や叱咤の声も、結局同じことなんだと思う。つまりは、自分が取捨選択せねばならない。捨てる、ことは、逃げる、という意味を指すんじゃない。自分自身の心にスペースを与えてあげるために、整理するという意味。
それをしなければ、他の誰でもない私自身が、私自身を愛してあげられなくなってしまうから……。



『良い子であることは私に人生の制限を与える。素直な子であることは、私に人生の自由を与える。』
そう気付いた。


食べ物は、『良い』基準で選ぶのではない。『素直』に欲する基準で選ぼう。
自分自身に、『制限』ではなく『自由』を与えよう。
付き合いたい人も、自分自身の素直な気持ちで、選択しよう。『素直』な想いで選んだ人間関係は、人を穏やかな輪で繋ぎ、温かな空気で包むから。

そう。
それは、私自身が幸せになるため。
そして、それは、私が大切に想う人を幸せにするため。


私、もう少し、強くなりたい。この気持ちを永遠に積み重ねて生きたい、そう思う。