2月14日

受付で現状を伝えると初診でみてもらえることに。

担当医は女の先生

 

持参したCDデータを一緒に見ながら

「これはね、石灰化が広がっているのだけど

悪いものなの。しっかり取って治しましょう。」

優しい先生に、また泣き出した私。

「ただ生きたい、それだけです」

と言うのが精いっぱいだった。

こんなに泣く人はいないのかな?先生驚いた顔してたな。

そんな私に微笑みながら

「大丈夫ですよ、部分摘出でいけそうだし入院も3日くらい。

仕事してる場合でもちょっとお休みすれば済んじゃう

その後もお薬だけ、5年くらいかな」

って言われて。

(この時点でマンモでは3センチくらいの石灰化に見えた)

拍子抜けしたけれど喜ぶっていうより半信半疑で。

(私、最初からずっといつもそうだったな)

ってか先生一回も触診しなかったなちょっと不満

 

 

それと「ネットは見ないでね」と言われた。

(ゆくゆくトリネガが分かって検索魔になるんだけどね。)

 

 

 

 

ここからいろんな検査。

採血、エコーとか針生検とか造影CTとか造影MRIとかね。

 

 

石灰化の拡がりで結構早い段階で部分は無理で全摘だって言われた。

私としては最初から全摘希望だったのでショックはなかった。

 

 

検査の都度、先生の話

最初、説明を聞いてもあまり分かってなくて

石灰化すべてが癌だと思って、自分で触っても

「え。。。でかいよね。。。」って思ってたけれど

これは壊死した部分が乳管内に留まっている状態で

先生はずっと非浸潤がんだと言っていた。

ステージ0だって。

だから手術が先だと。

 

 

 

そして分かったトリプルネガティブ

「お薬だけ」では済まなくなった。

(先生良かれと思って悪い話はサラッとしか言わないの。

だから後から調べてどん底に。。。ってことが何度もあった。

まぁトリネガも非浸潤だったら大丈夫だったんだけどね)

 

 

 

トリプルネガティブのことを調べ、分かってから

トリプルネガティブに翻弄される日々不安

とにかく恐怖過ぎて検索も全てを知る勇気はなかった。

 

 

 

今になれば非浸潤か浸潤かで運命の分かれ道だったわけで

その方が重要だったのだろうけれど

そのことにもまだ気づいてなくて。

(ってかどんどん展開が変わって理解するのがいつも後手後手だった)

 

 

 

それで最後のMRIになって

「持参したマンモでは一方向しか分からなかったけど

石灰化がかなり広い。5.6センチくらいかな」って驚き

 

えぇぇ!自分で触ってデカいとは思っていたけれど・・・

 

 

そして画像を見ながら「あれ?データでは浸潤してるって結果!?

うーん・・・してないと思うんだけどな・・・。

もし少~しだけしてたとしたら抗がん剤、短期でやりましょう!」

ってことだった。

 

 

針生検で真ん中を刺して浸潤してなかったと何度も言っていた。

最後まで先生は非浸潤を貫いていた。

 

 

私の中ではまた奈落の底に落とされるのが怖かったけれど

途中のいろんなことひっくるめて結果いい方に

転ぶかもって希望もあった。

「期待しないでおこう」という気持ちと

「よい結果でありますように」という気持ちが入り混じっていた。

 

 

でもそのことよりこの時は手術の恐怖がとってもとっても大きくて。

 

「どうかこのまま死んでしまわないように。

無事手術が終われたら明るく前向きに生きよう」

そう強く心に決めていた。