ちょこボラ!しよう

「ちょこボラ」とは、「ちょこっとボランティアする」こと。今すぐ簡単にはじめられる「ちょこボラ」の数々を紹介します。


テーマ:
 「ちょこボラできそうな、楽しくて参加しやすそうな活動ってないかしら」とワクワクしつつ、ある団体に取材のお電話をしたときのことでした。ちょこボラの主旨をお話しつつ、初めての人でも受け入れてもらえるものでしょうかと尋ねた私に、電話口に出られた担当者の方は、とてもおちついた誠実な口調で、こうおっしゃられました。

 「ボランティア初心者の方が興味をもって参加するのはだいじなことです。でも、体験だけで終わってしまってまったくつづかないというのでは意味がありません。おもしろそうだからという気持ちだけで参加した結果、現場のボランティアスタッフを振り回してしまったという例もとても多いのです。ボランティアは、体験から継続へと発展しなければ、本来は意味がないものなんです」

 …そうか。そういえば私は、「楽しいことを体験して、それがボランティアであればよいのだ」と、そう考えていたかもしれない。つづけてゆくことがだいじ。そんなこと少しも考えていなかったかもしれない。しかしいわれてみればそうだ。一度きりで「ハイ、おしまい」では、やらないも同然になってしまう可能性だってある。継続はチカラ、だ。むしろ、「ちょこボラだからつづけてもゆける」という考え方に立って、ちょこボラすることを考えることがだいじなのかもしれない…。責めるようなところのないその人の物言いに、よりいっそう素直に感じ入ってしまったのでした。

 とはいえ、つづけられるかられないかは、やっぱり体験してみないとわからないところでもある。「つづけられなくて迷惑になるくらいなら、最初からやらないほうがいい」となったら、せっかく芽生えたちょこボラな気持ちが一気に萎えてしまう。それじゃあ、何にも始まらない。何もやらないのと同じことになっちゃうよなあ…。

 それなので、やはりちょこボラ一年生の私としては、迷惑をかけても体験していくというスタンスを大事にしながら、ちょこボラを追究していきたいと思っています。ただし、「ゆるやかでもつづけてゆくことがだいじ」ということをココロして。

 継続することが、のちのちのちょこボラに、「楽しい」以上のステキな成果をもたらしてくれるものだと期待しながら、理想のちょこボラを探してゆきたいと思います。
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:
 ボランティアとは、ラテン語では「自由意思」、フランス語では「喜びの精神」、英語(動詞)では「自発的に申し出る」という意味をあらわすといいます。この言葉に忠実にちょこボラするとすれば、「自分で思い立って、楽しんで行動に当たること」がボランティアのキホンだということになる。

 なるほど。楽しんでやる、ムリをしないでやるというのはだいじなことかもしれません。いくら人のためっていっても、眉間にシワ寄せてストレスたっぷりでやってたんじゃ意味がない。責任感の重圧に耐え耐え、自分を殺してやっているようじゃ、それはボランティアなんかじゃなく、むしろギゼンになっちゃいますもんね。相手に迷惑をかけないというマナーさえ注意すれば、何も滅私奉公でやらなくてもいいわけよね。

 実際、アメリカなんかでは18歳以上の約半数が何らかのボランティアを経験しているといいますが、週平均にして4.2時間程度だとか。これを長いと感じるか短いと感じるかは個人差があるでしょうが、少なくとも「滅私奉公」ではないことは明らか。自分の空き時間を有効活用するようなスタンスでちょこボラする。これこそが、ボランティアをする基本姿勢なのかもしれません。

 マイペースで楽しくムリなく。なーんだ、ボランティアってけっこう楽しそうじゃない♪と、よいことばかり考えていた私だったのですが、あるときボランティアの現場で活動している方から、目からウロコ的なアドバイスをいただくという経験をしました。

 そのアドバイスは、ちょっとテキビシイけれど、イヤなちょこボラさんにならないためにはとても重要なものでした。それについては、次回お話することにしましょう。

 乞うご期待?・。
AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

テーマ:
 ひとくちにボランティアといっても、いろいろなものがあります。
 阪神大震災のような災害の救援活動もあれば、難民を助けたり、紛争地帯の地雷を撤去するような海外支援活動もある。それにお年寄りや身障者を手助けするもの、子育ての支援をするもの、環境を守る運動などなど、考えてみると、ボランティアってずいぶんとたくさんあるものなんですよね。
 でも、いきなり「誰かを助ける」とか「支援活動に参加する」とオーバーな飛び込み方をしなくても、身近な糸口からできるちょこボラだって、いくらでもあると思います。
 たとえば、タバコのポイ捨てをやめる、水を出しっ放しにしないといったきわめて日常的な心がけ。とてもささいなことだけれど、こうした小さな行為の積み重ねだって、地球環境を保護することにつながっていくちょこボラですよね。ゴミの分別をマジメにやる、牛乳パックをリサイクルに出してみるなんていうちょっとしたココロがけもそう。環境にやさしい洗剤を使ったり、再生紙を使用しているものを積極的に利用すれとなれば、もうこれは文句なく「ちょこボラ」な人だといってもいいよね。
 さらにいえば、使用済みのテレホンカードや切手、書きし損じたはがきなどを集めることも、ひとつのボランティア活動に通じます。書籍や衣服、インテリア小物などを買うと、その何割かが支援活動に募金されて、お買い物を通じてできるちょこボラなんていうのもある。ちょっと変わったところでは、食べたもの(野菜や果物)のタネを人々から募って、それを砂漠の緑化に使用するという活動もあります。
 このように、私たちの身の回りには、意外に多くの「ちょこボラの入り口」が存在しています。つきつめてゆけば、ちょこボラそのものがライフスタイルになってしまうほど、ボランティアってじつは身近なものだったりするんですよね。


 ※日々の暮らしの中でちょこボラを実践する著者の藤原さん。この夏は、短パンに白のタンクトップ、首には白いタオルとすっかり夏オヤジな格好で過ごしていたそうです(著者は女性です~)。
 明日は、藤原さんの夏のちょこボラアイテムを写真で紹介しますのでお楽しみに!(サトウ@編集部)


 ●読者のみなさまへ●

○ロータスクーポンのついた商品を見つけたら教えてください!
お買い物のとき、ロータスマークの商品があったらぜひ教えてください。
マークは水面に浮かぶ蓮の葉をイメージしたものです。よろしくお願いします。

○あなたのちょこボラ体験おしえてください!
「ちょこボラ!しよう」の感想や、「わたしもちょこボラやってます!」のようなちょこボラ体験記、「こんなちょこボラもあるよ」という情報など、ぜひおしえてください。あなたのとっておきのちょこボラ話、お待ちしております。
(送り先「sato@amebabooks.co.jp」)
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 もはや理想や建て前ではなく、良心に忠実に生きること、「ちょこボラ」な気持ちを大切にして生きていくことが、人生を豊かに送るための一大ポイントだということを、すでに多くの人が気づきはじめていると思います。
 このような感覚を人々に気づかせる大きなきっかけとなったのが、一九九五年に起きた阪神淡路大震災です。
 被災地の惨澹たるありさまを、メディアの報道を通じて知った多くの人々が、援助物資を送ったりみずから被災地におもむくなどして被災者たちの力になろうとしたことは、いまだ記憶に新しいところ。約六五〇〇人の死者を出し、四〇万もの世帯を瓦礫と化したこの震災は、私たちの文明に未曾有の大破壊をもたらしました。が、その一方で、一日平均二万人、三ヶ月で延べ一一七万人ものボランティア参加者を生み出し、人々の善意を集結させた“一大ボランティアパワー”を発揮させもしたのです。現在、阪神淡路大震災の起きた一九九五年は「ボランティア元年」とされ、震災日の一月一七日は「防災とボランティアの日」と定められています。
 これがきっかけとなって、これまで日本ではあまり一般的でなかった“ボランティアする”ことがにわかに活気づきました。非営利で社会貢献活動をする市民団体などが、税制上の優遇を受けられるためのNPO法案が制度化されるなど、ボランティア活動を国家レベルで支援しようという動きも少しずつ見られるようになりました。ボランティアという行為が、ようやく日の目を見始めた、市民権を得始めたわけです。
 もちろん、この阪神淡路大震災で活躍した人々のなかには、ちょこっとどころか、ものすごいボランティアパワーを発揮した人が数多くいたと思います。でも、こうしたものすごいパワーを発揮した人たちが、ボランティアに関して常日頃から高い意識をもっていたかというと、決してそんなことはないのじゃないでしょうか。震災のインパクトにショックを受けて、突き動かされるようにして不慣れなボランティアに踏み出したという人のほうが、むしろ多数派だったのではないでしょうか。
 震災のもつはかりしれないパワーが、ひとりひとりの心のなかにかくされていた「ちょこボラ」な気持ちに火をつけて、一気に爆発させた。小さな種か、あるいは芽程度だったものをあっというまに大樹にまで急成長させた。この震災で発揮されたボランティアパワーは、まさに「ちょこボラ」の大集結だったのはないかと、そう思います。
 人間のなかで冬眠状態だったともいうべき「助け合う」という本能。それを目覚めさせるほどの出来事だったと思うと、震災のおそろしさをあらためて痛感せずにはいられません。

●読者のみなさまへ●

○携帯向けサイト「文学カフェ★無料」http://bcafe.qw.to/ がオープンしました!
外出先でもお楽しみいただけますので、こちらもよろしくお願いいたします。

○ロータスクーポンのついた商品を見つけたら教えてください!
お買い物のとき、ロータスマークの商品があったらぜひ教えてください。
マークは水面に浮かぶ蓮の葉をイメージしたものです。よろしくお願いします。

○あなたのちょこボラ体験おしえてください!
「ちょこボラ!しよう」の感想や、「わたしもちょこボラやってます!」のようなちょこボラ体験記、「こんなちょこボラもあるよ」という情報など、ぜひおしえてください。あなたのとっておきのちょこボラ話、お待ちしております。
(送り先「sato@amebabooks.co.jp」)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
○「ちょこボラ」な気持ちがうずき始めた! 二十一世紀

・「ちょこボラ」という感覚は、私たち自身の良心のカケラ

 体の不自由な人が頼りなげに階段を昇る姿を目にしたとき、「手を取っていっしょに昇ってあげようかしら」ととっさに感じたこと、ありませんか? 電車のなかで、年輩の人が自分の席の前に立ったとき、「席をゆずったほうがいいかナ」とソワソワした気持ちになった経験って、一度や二度ならず、あなたにもあるのじゃないでしょうか?
 「困っている人に手を貸そう」と理屈抜きに感じるこの気持ち。ちょっとくすぐったいような、もどかしいようなこの感覚。
 これって、私たちの心のなかにある“良心のカケラ”のなせるワザ、じゃないかと思うんです。心のなかに慎ましやかに存在する良心、文字通り「良い心」のカケラが、私たちの魂に「これは捨ておけぬ」「見て見ぬフリなんかできないよ」と呼びかけるからこそ、私たちは“人助け精神”に駆り立てられるのじゃないか。
 この、一見とってもささいに見える良心のカケラこそが、ボランティアする気持ちの種、そして芽になっていく、いわば「ちょこボラ」精神を生み出す、かけがえのない「人間の性」なんじゃないかと思います。

・「他人のため」は、すなわち「自分のため」

 とはいえ、日ごろはそれほど人助け精神に満ちた“いいヒト”じゃなくても、いざそういう場面に出くわすと、なぜ良心のカケラがポンと出てくるのか。自分のなかの“いいヒト”的な部分が顔をのぞかせるのか。ちょっと不思議な気もしますよね。
 先ほど、良心のカケラは人間の性からくるものだといいましたが、良心というのは、アタマで考えて感じるようなものじゃなく、むしろ私たちが生き物として生まれもっている本能の一部にすぎないのじゃないでしょうか。
 私たち人間に限らず、生き物はみな「自分がいちばん、自分が大事」で生きています。これは、生命を営むものの基本中の基本。生き物はみなすべて原則“自己チュー”でなければ、この世を生き抜くことはできません。
 でもその一方で、「いざというときに助けてくれる他人がいてこそ、自分は生きてゆける」ということも自然界の重要なオキテです。“自己チュー”を実践するためには、時として他人の窮地を助ける労力を惜しんではいけない。そのことを、私たちは直感的に知っている。だからこそ「手を貸そうかしら」という気持ちがおのずと芽生える。
 “良心のカケラ”が生み出す“人助け精神”は、「よいことだからやる」といった道徳やキレイごとではなく、自分自身を守る本能の発露、つまり生き物としてもつ本能が、「目の前の相手に手を貸しなさい」と私たちに命じるから感じるもの。そう考えると、人助け精神が予期せず不意に顔をのぞかせるのも、うなずけるような気がしませんか?


●読者のみなさまへ。あなたのちょこボラ体験おしえてください●

「ちょこボラ!しよう」の感想や、「わたしもちょこボラやってます!」のようなちょこボラ体験記、「こんなちょこボラもあるよ」という情報など、ぜひおしえてください。あなたのとっておきのちょこボラ話、お待ちしております。(送り先「sato@amebabooks.co.jp」)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 はじめまして。単行本ライターの藤原千尋です。
 正直、ボランティアとはほとんど無縁、どころか「タダより高いものはない!」が信条のひねくれモノのワタシですが、だからこそ“通っぽくない”アプローチ=「ちょこボラ」というテーマから、ボランティアすることについて考えてみようと思います。なぜボランティア部外者の自分がボランティアについて考えてみる気になったのか? そのきっかけとなったちょっとした体験についても、おいおいお話してゆくことにしましょう。

 さてみなさん、「ちょこボラ」って何だか、知ってますか?  「ちょボラ」なら、テレビCMで耳にしたことがある人もいる? でしょうか。
 そう、「ちょこボラ」も「ちょボラ」も意味はいっしょ。“ちょこっとだけやる”ボランティアのことをいいますが、「ちょこ」の語感にそこはかとただようキュートさ(?)を意識して、ちょボラではなく「ちょこボラ」でいくことにしてみました。

 ちょこボラについてお話する前に、みなさん、「ボランティア」って、どう思いますか?
 ボランティアっていうと、どんな感じを想像しますか?
 「う~ん、ボランティアっていえば、災害に遭って困っている人とか、お年寄りや身体障害者の人を手助けすることでしょう?
 お金をもらわずに行なう善意のお手伝い。だいじなことだと思うし、すごいことだなとは思うけれど、何だかむずかしくてたいへんそう。興味がないわけじゃないけれど、いきなり飛び込むには、ちょっと敷居が高いかな…」  おそらく、こんなふうに思っている人がとても多いのじゃないでしょうか。
 やるなら気合いを入れて、本格的に取り組むもの。徹底的に“善意のヒト”と化して、滅私奉公の精神で参加するもの。「ちょこっとだけ、お手伝いさせていただきますぅ」なんていう軟弱な心がまえでは、とうていつとまらない…。ボランティアには、とかくこんなイメージがつきまとっているのではないかと思います。
 かくいう私も、ボランティアに対して、「たいへん。責任重大。軽い気分で参加するのは不謹慎で迷惑。マジじゃないなら、やっちゃいかん」と、37歳になる今日まで、かたくなに思い込んで生きてまいりました。
 だって、部外者の自分がいったいどのくらいヒトさまのお役に立てるのかも不安だし、そもそも、“ヒトさまのために”って考えじたいが、ちょっとギゼン入ってないか? それほどこころざしが高くもない自分がボランティアに参加するなんて、やっぱりおこがましいかも…云々と思案したあげく、結局、なあんにも行動を起こさないまま、ボランティアとはまったく無縁の生活を送りつづけていました。
 でも、ボランティアって、ホントのホントに、そんなに敷居が高いものか? 困っている人を助けるのに、そーーんなに高いこころざしが必要なのでしょうか?
 自分の空き時間を使って、できることだけをマイペースでお手伝いする。習い事感覚で、自分の人生を豊かにするためにトライしてみる。そんなふうに気軽に始める「ちょこっとボランティア」があったって、よいのじゃないでしょうか?
 もちろん、相手の迷惑も考えずに「楽しそうだから、ボランティアしに来ました~♪」なんていう軽薄な態度でやるのは言語道断。いくらマイペースで気軽にといっても、相手を不愉快にさせないという最低限のマナーは、当然わきまえるべきです。
 でも、このマナーさえ守ってのぞめば、ちょこっとだろうとドバっとだろうと、「役に立ちたい」気持ちに優劣はないはず。むしろ、ムリなく楽しくボランティアできて、相手の「困った状態」の改善にひと役果たせたということになれば、やるほうもやってもらうほうも万々歳なのじゃないでしょうか。
 誰もが「誰かのために何かをしたい」という気持ちを少なからずもっていると思うんです。そういう気持ちって、ギゼンだとかタテマエだとかいう以前に、見過ごしてはいけない尊い感覚じゃないでしょうか。そんな気持ちを大切にしながら、大上段に構えず、マイペースで楽しくお手伝いして、それでいてちょこっと人のお役に立てる。そんな「ちょこボラ」の精神こそが、ボランティアをより身近なものに変えていくのかもしれない。そんな気がするんですよね。
 とにかくむずかしいことは考えない。気取らず、かまえず、背伸びせず、「まずは楽しんじゃおう」の気持ちで自分のできることから始めてみる。そんな一人一人のとるにたらない「ちょこボラ」が、大きな大きなボランティアになっていくと思うと、何だかとってもワクワクした気分になってきませんか?
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。