熊本地震で崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)のたもとにある同村の黒川地区が地域消滅の危機に直面している。村を襲った4月16日の本震から半月が過ぎた1日、地区から住民や東海大学生の姿がほとんど消えた。「大橋と大学が再建されなければ、地域はこのままなくなる」。区長の竹原満博さん(55)は故郷の未来像を描けないでいる。
深い渓谷と山々に囲まれた黒川地区。押しつぶされたり、倒れかかったりしている家屋やアパートが目立つ。道路にも無数の地割れ。家の片付けに訪れる住民や学生がぽつぽついる程度で、野鳥が静かに鳴く。
【阿蘇大橋が開通すると一変】
地区はもともと、約25世帯が農業を営んでいた。1960年代の高度経済成長期に人口が減少。「牧畜や養豚にも挑戦したがうまくいかず、他の仕事もなかった」と旧長陽村の村議だった古沢育男さん(80)。
ところが、71年に大型車両も通れる全長205メートルの阿蘇大橋が開通すると一変。東海大誘致にも成功し下宿やアパートが続々と建てられ、活況を見せた。村史は「大学の建設は大きな刺激だった。特に黒川地区住民への経済効果は絶大であった」と記す。
73年4月に開校した東海大だけでなく、周辺にはゴルフ場などレジャー施設が建てられ、雇用も増加。新住民も流入し世帯数は約60世帯に。学生800人が定住し、人口は大橋開通前の約10倍に膨れた。古沢さんは「小さな石橋しかなかった地域を大橋が開いた。黒川は村で最も潤う地域になった」と言う。
大学の校舎から徒歩15分圏内にある「学生村」の下宿とアパートの総数は68軒。アパートごとに毎春、大家主催で卒業パーティーや新入生の歓迎会が開かれ、ボウリング大会や夏のキャンプも企画される。
農業兼アパート経営の竹原区長も全国に散らばった卒業生の結婚式にたびたび招かれた。「学生も含めて黒川は大きな家族だった」
【観光の玄関口だった大橋は住民の生活路でもあった】
「家族」の崩壊を招いた地震。大学は6月末まで休校を決め、学生は全員が親元へ戻り、住民は地区から離れた避難所で別々に暮らす。親類宅へと村を離れた住民も少なくない。「怖いので自宅に住めない」と自営業の竹本カヨ子さん(63)。
阿蘇観光の玄関口だった大橋は熊本市や大型ショッピングセンターがある隣町に向かう住民の大切な生活路でもあった。石井啓一国土交通相は4月30日、阿蘇大橋について国が主体となって再建する方針を示したが、現地調査をした土木学会は同じ場所での再建は困難との見解を示した。
大家の中にはアパート再建を断念した人も。「(新しい橋は)いつ、どこに架けられるのか。大橋がなければ大学の再建はない。そして学生も戻らない」と竹原さん。竹原さんの自宅は全壊したが、下宿が無事だったため、年老いた両親の求めで黒川に残ると決めた。「先祖が守ってきた、この地の行く末が心配なのでしょう」。倒壊した家々の庭先には、ピンクのツツジや紫のアヤメなどの花々が咲き誇り、それぞれの家族の帰りを待っている。