地震は本当に恐怖だったし
テレビで見る悲惨な映像に放心状態で
なかなか今までブログに載せる気分になれなかったけど
少し気持ちが落ち着いた今
これからのために
書いておこうと思います。
《思い出したくない方、気分を害する方はスルーを
》地震当日は幼稚園が年長さんの謝恩会で
年少、年中はお休みでした。
同じクラスの男の子がお兄ちゃんと一緒に遊びに来てくれてて
ランチしたり戦隊ごっこしたり楽しく過ごしてました。
早めのオヤツを食べて
子供たち3人は3階の部屋で大はしゃぎ
私とママ友は2階のダイニングでお茶しながら話してた、その時
14:46
初めは緩やかな横揺れで、私もママ友も地震て気が付かなかったくらい。
でも、その揺れがだんだん大きく激しくなって
家がミシミシ、ガタガタ鳴ってきた。
初めて『地震?地震だよね?』って私たち確認し合って
同時に3階の子供たちに『みんな、早く降りて来て~‼』って叫んだ。
家全体がきしんで
グァシャ グァシャ言わせて激しく揺れ始めた。
階段を登って連れに行きたくても
立っていられないほどの揺れで
手すりにつかまるので精一杯。
子供たちは何とか手すりにつかまりながら階段を降りてきて
リビングの真ん中に3人くっついて座らせた。
食器棚の中でお皿がガチャガチャ鳴る音が本当に恐怖だった。
私とママ友で、家具が倒れてこないように手や体で押さえて子供たちを守ってた。
『怖い~』って怯える子供達。
『 だ、大丈夫。大丈夫だからね』落ち着かせてあげなくちゃと必死な私たち。
まだ?まだ?ってくらい長い揺れで
余りの恐怖に声も出なくなる。
揺れは本当に長くて、本当に怖かった。
本震の後、テレビを付けてみた。
画面には震度7とか6とかの文字。
東京も震度5。
画面上には『大津波警報』の赤文字。
ただごとじゃない事が起きてる恐怖。
何度も余震がきて
私もママ友も足は震えっぱなし
常に揺れてるみたいだった。
余震と余震の合間に交代でトイレへ行ったりもした。
少し落ち着いて、家の中を見て回ったら
いろんなものが落下していた。
家具の転倒防止突っ張りは、揺れで落ちて家具が斜めになってたり
大型テレビがラックごと45度移動してた。
特に子供たちがいた3階は
本棚から絵本が落ちて一面に散らばっていたり
寝室のテレビが落下したりしてひどかった。
少しのタイミングで子供たちにぶつかったり
下敷きになってたかと思うとゾッとしちゃう。
地震後、パパに連絡を取ろうと携帯に掛けたけど
回線パンクで繋がらない。
メールは送信できたけど、なかなか返信は来ない。
無事なのか、どこに居るのかもわからない。
そんなうちにも、テレビからは大津波で車や家がどんどん流されていく映像。
もう涙が止まらない。
ママ友も、『怖くて帰れない』って言うし
私も怖くて帰って欲しくなかったから
ご飯をいっぱい炊いておにぎりを作って、子供たちと一緒に夕飯を食べた。
気持ちを落ち着かせる為に
揺れに注意しながら温かいお茶を飲んだりもした。
子供たちは、余震クラスになるとすっかり怖がらなくなり
地震より遊ぶのに夢中で
怯えるママたちをよそに大はしゃぎ
その途中にも度々テレビから緊急地震警報の音が鳴るけど
子供たちは大爆笑…みたいな。
とても不謹慎な状態??
でも、泣かれるよりはよかった。
あの時、子供たちの笑い声にどれほど救われたか。
小さな男の子が3人で
『地震をやっつけてやる~
』なんて言ってくれてた。
それから何より、一緒にいてくれたママ友
彼女が阪神大震災の被災者だったから
怖がりながらも落ち着いていてくれて
かなり助かった。
もし家に私とれんじゃーだけだったら
多分ものすごい恐怖でパニックになってたかもしれない。
20時過ぎまで一緒に居てくれて
どれほど心強かったか。
本当にありがとう(;_;)
本震では、私の実家も震度5だった。
実家は2004年の新潟県中越地震に続き2007年の中越沖地震で震度6強を受けた被災地。
2007年の時は家が傾いて半壊してしまった経験があるから
またもや…と不安が過ぎった。
夜になって、メールでようやく
パパと連絡が取れた。
都内の会社にいて無事。
続いて実家とも。
家も無事。よかった。
ただ、兄だけ出張で都内に来ていて帰宅難民に。
新幹線が動いた翌日午後、無事帰宅。
あと、心配したお義母さんやお義姉ちゃんから連絡もきた。
ママ友や、地元の友達なんかからも続々と安否の確認メールが届いた。
アメブロにもメッセが。
みんなありがとう(;_;)
息子っちが寝る時間になった。
いつもは3階の寝室で寝ているけど
地震で本がかなり落ちたし
3階の家具には転倒防止突っ張りが付けてない。
寝ていて大きな余震がきたらアウト。
布団を2階のリビングに降ろして
倒れそうなものを移動させて
寝る場所を確保。
もしも避難なんて時の為に
枕元のソファーにはコートや大判ストール、懐中電灯なんかを置いて寝た。
息子っちが寝た後も、テレビに釘付け。
本当に恐ろしい事態になってきて、気持ちの高ぶりでなかなか寝付けなかった。
もちろん余震のせいも。
夜中になって、都内の一部地下鉄あたりは運行し始めて
帰宅難民になりかけだったパパは0時くらいに帰って来れた。
とりあえず、家族が無事。
電気、水道、ガス全て通ってる。
家も被害なし。
当たり前に思ってたことが非常に有り難く思えて仕方なかった。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*・*:.。. .。.:*・゜゚・*
今回の災害、
毎日テレビに映る映像があまりにも衝撃的で日本で起きてる事と思えません。
福島原発の影響も徐々に出てきて
放射能の汚染は先の見えない不安と恐怖を感じます。
ついに都内の水道水にまで…。
乳幼児のいるママ友の話では、都内から再び飲料水が消えたとのこと。
コストコでさえ売れ切れだって。
こっちでも探してみたけど、どのスーパーにも水はない。
参ったね。
まだまだ復旧、復興には時間が掛かりそうです。
こんな時だからこそ、みんなで協力し合わなくっちゃ。
再び安全で豊かな日本になるまで。
子供達の未来のために。
母は強し
笑顔を忘れずにネ
長々ありがとう。
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