先日、数年間全く音沙汰の無かった義兄から電話が入りました。
「○○です」と聞いただけで何のための連絡かは分かりました。義母が亡くなった知らせでした。

夫が脳梗塞の後遺症で寝たきりになり、義母のお世話をする事が出来なくなりました。

義兄は自分では認知症となった義母のお世話をする事は出来ないと、施設に預けることにしたようです。


それは全く問題は無いのですが、最後に面会に行ったのが今年の2月だそうです。それを聞いて、私の心はギュッと締め付けられる感じがしました。

義母は施設の方に看取られて、静かにあの世に還っていかれたそう。

もしかしたら、これからのスタンダードな還り方かもしれないな…。

こんな事を目を瞑ったまま思考を巡らせていました。夫が亡くなった時と同じような思考の彷徨い方。思考するのが好きなのか、現実からの逃避なのか…。
時間が経つ感覚もなく、ただただ考えておりました。


我が家には義実家にあった貴金属が置いてありました。夫が認知症になりつつある母親が押し買い?にくる業者に騙されはしないかと案じて持ち出していた品々。ロレックスもありました。

義母がまだしっかりしている時に、私に世話になっているという思いなのか、
「欲しいものがあったら持っていって使ってといいよ」と言ってくれていましたが、その時は譲り受けるのは今でなくてもいい、と持ち帰る事はしませんでした。

そして夫が亡くなり義母も亡くなった今、貴金属の存在を知っている人はいませんが、全て義理の兄に渡すことにしました。


卑しいけれど、本心は迷いました。

認知症となった義母の身の回りの汚れモノの世話(大便が壁になすりつけてあったのを泣きながら掃除をした等、本当に色々と大変でした)をしたのは夫ではなく私だったのに…という思いがあったので。

でも、朝、目覚めた直後に『全て手放そう』と私の感覚が軽やかに閃いた為、それに従いました。

全ては終わった事。お世話をした事で私の心のポイントはアップしたはず!それでいいじゃん!

そう思ったら心が豊かになった気がしました。

うん、これで良いんだと思う。


数秘術でいうと私にとって今年は区切りの年らしいのです。

夫と霊媒をしたのは想いに区切りをつける為。

そして最後の繋がりだった義母の死去は夫の家族との事実上のお別れになると思う。

息子達には夫の実家の持分を相続させましたが、それだけ。私に利益は何もありませんが、それでいい。

私は私の感覚で風のように軽やかに生きていけたらいいし、何でもいい。


成功や達成だけが良いとは言えない。失敗だって笑ってしまえばいい。


やらなきゃいけない事ではなくて、やりたい事をしていくのだ。


…ご飯作りも私にとってはやりたい事だし、断捨離も好きでやっているので…あんまり変わらないかもしれないけど。

それはそれで良いよね。