私の友人の話です。
彼女は数年前から役所で臨時職員として勤めています。

彼女は気遣いの出来る性格の優しい人で、職員から好かれているせいか、同じ部署で契約を更新してもらっています。


今年度の人事移動で頭のキレる国立大学出身の女性職員が新しく上司となったようです。

その女性職員の頭脳が明晰過ぎてついていけないと嘆いていました。

仕事の指示の説明が理解出来ない。ミスをするとため息を吐かれる。

そしてそんな自分が情けなくて惨めで辛い、と。

分かりますよ〜、分かります。そういう状況では自己肯定感が低くなりますよね。

当然職員さんには全く非はなく、ご自身の業務を無駄なく真っ当にこなしているだけなのです。


頭の良い人って頭の中で整理して、色々飛び越えて処理をすることが出来る為、途中を省けるのです。分かってしまえば効率的で、なるほど〜となるのですが。


能力の差は苦しいよね。上手く仕事をこなして余裕の笑顔でいたいのに、実際はミスをして自信喪失。


彼女は自己肯定感を高める方法の本を読んだりしていたみたいだけど、能力の差は埋まらない。


解決策としてはらそれを気にしない方法を見つけるか環境を変えるか。


…気にしない方法なんて、あるのか?


万が一米津玄師さんが対面電車の中にいたら絶対に見ちゃうし、それこそガン見しちゃうもの。

気にしないなんてムリです。

気になって仕方ない。


ではもう一つの選択肢、環境を変える。

これは可能だと思うし、私自身はそのつもりでいるのだ。


でもね、彼女は役所勤めを続けたいから我慢しているだけのことだから。ただそれだけのこと。


その彼女が最近庭で花を育てているとSNSで流してくれました。

えっ?と思う位、雑誌にでも投稿するのか?位に、みっちりと植えてあるのです。


心に疲労をためている自分を癒やしているんだろう。元々特別なオンリーワンを自分の中に落とし込んでいるのかも…なんてね( ̄∀ ̄)私の勝手な妄想ですけど。


そして実は私も花を買ってきて寄植えをしています。やはり美しいのです。正に心のサプリです。私の心も花の癒しを必要としています。効果効能は…速効性はありませんけどね。サプリですから。


心がざわついている時は花を見詰めながらカフェ音楽をかけてお茶を啜っています。ちなみに雑草も花が咲き終わるまで見ています。小さいけど、同じように美しいな〜と。


ふわりと飛んできて偶然着地した日当たりの良くない小さな庭でもちゃんと咲いてくれて、その逞しさには見惚れてしまいますね。


花は枯れて、また咲くし、私達も同じこと。

産まれて、生きて、死ぬ。この命の営みの意味はどこにあるのだろう。

全ては愛にかえるらしいので、

『愛』を学ぶ為ということになるのでしょうか。


むむむ…『愛』ね。