中学生時代の友人に、18年ぶりに会いました。

それぞれ経年劣化はしているものの、「え?」と思うこともなくて「すぐに分かったよ」とタイムリープしたように、気持ちがその頃に戻っていました。

一人は早くに結婚して、孫が三人いるAちゃん。
途中子育てのために会社を辞めたけれど、数年後に復職してずっと同じ会社で働いているようです。

Aちゃんは義父の相続時と勝手に義弟の元に出ていった義母の介護費用の負担についての二回、義弟と調停をしている。多分義母の持っていったお金は義弟に遣われて無いと思うとのこと。


もう一人は旦那さんのご家族と一緒に家業を手伝い、ストレスいっぱいの中、迷いながら生きているKちゃん。

更年期障害で辛いことを旦那さんに伝えても「聞きたくないから言わないで」と言われたり、色々と問題があり、家を出ていこうかとも考えてしまう…と我慢し続けているようです。

みんな生きているから色んな問題を抱えていて、それぞれの状況で堪えて乗り越えようとしている。

「それぞれが乗り越えられる試練が起きているんだよ」とAちゃんは言っていたので、「よく聞くセリフだな」と思いながらも、「だったら私は相当強い心を持っているか、作るためにいるんだな」などと考えていました。



つくづく生きているって簡単なことじゃないなと思うのです。
乗り越えられないような問題が生じて、それでも何とか乗り越えた先に、また問題が生じて。

頑張って生きているつもりなのに、何で自分だけにこんなにキツイ問題が生じるのかと感じたりして。

自分の問題を友人に相談したとしても、お門違いな返答しかなくて、自分が落胆するのが目に見えているから一人で答えを探して本を読んだり考えたりする。
友人に話す時には既に解決している問題しか話さず、いつも過去形で報告しているだけになってしまう。

自分の納得出来る答えは自分の中にしかない事が分かっているから、人に相談しても意味がないと思っていて話さずにいる私。
自分は馬鹿な人間だと分かっているけれど、他人は更に馬鹿だと思ってしまう自分が悲しい人だなと思うのです。

自己陶酔的な感じ…疲れたのかな?


久しぶりに会った友人と6時間を越える、飲み会のようなランチを終えて帰る時に、そんな事を考えていました。

話しは尽きなかったけれど、次回はもう少し短めなランチにした方がいいな。

ずっと話していると、ふとした瞬間に心の隙が出来て涙が出てしまうのです。

友人は泣いていいよ、その為に会ったんだから…と優しい言葉を掛けてくれましたが。

泣いて心が晴れるほど簡単なものではないのですよ。

でも、ありがとうね。