今日のお昼ごはんにグラタンを作って食べた。
わたしがグラタンを自分のために作れるときは調子が良いとき。
グラタンって一からつくろうと思うと、工程が多くて、
1口コンロで作ると手間が少しだけかかる。
だから、グラタンを久しぶりに作れたことがうれしかった。
それなのに、夕方から大嫌いな憂うつが襲ってきた。
調子が良いと思ったあの瞬間は幻想だったのかもしれない。
実はここ数日、浮き沈みが激しくてどうしようもなく死にたかった。
浮かんでるとき、わたしは殆ど何も考えていない、ちゃらんぽらん。
だけど沈んだ瞬間、憂うつで、何かもかもが不安になって、
どんなことも自分を否定する言葉に変わる。
死にたかったというよりは自分の存在を否定することしかできなかったのかもしれない。
何でこんなにもずっと死にたいんだろう。
自分でもよくわからない。
junpeiや家族、友だちが死んでしまったら悲しいし、
死ぬと言われたら全力で止める。
自分勝手でわがままだけれど、わたしのために死なないでほしい。
だけど、自分は死にたい。
死ぬことで悲しむ人がいてくれている。それなのに死にたい。
初めて薬を飲んだときからもう10年以上が経つ。
それから2年ほど前まで病院に通ったり、止めたりを繰り返してきた。
いまのわたしは日常的に薬は飲んでいないし、
動けないほどしんどいときもすごく減った。
死にたい気持ちは日常だけど、受け流せる。
そんなものだって。そうやってわたしはいまを過ごしている。
それなりに楽しいし、やりたいこともある。
だけどわたしは溜めた薬を捨てられない。
ジップロックにいっぱいの薬たち。
それらを必要とすることは殆どない。
どうしようもないとき、そこから1錠飲むこともあるけれど、
無かったら無かったで他の何かで紛らわせることができると思う。
それなのに捨てられないのは何故なのか。
それはきっと死ねる安心感がほしいのだと思う。
此処にいたくなくなったらふわふわできる安心感が必要なのだ。
死ねる、をお守りにわたしはいまを生き、努力をし、悲しみ、怒り、
この世界をよいものだ、と感じる瞬間さえも手に入れることができる。
そんなわたしは自分で見ても滑稽だけれど、
滑稽だけどいいじゃない、と笑い飛ばせるぐらいに自分を愛してあげたい。
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大好きで大切な人と向かい合って食べるあんみつが、すき。

