おはようございます。
1月15日、土曜日の朝、いかがおすごしですか。松本潤です。
嵐はいよいよ今夜、そして明日の福岡公演で今回のコンサートツアーも終わります。
えー、有終の美、飾りたいと思います。
二日間、楽しみたいと思います。
では約30分間、僕・松本潤とお付き合いください。
Jun Style、スタートです。

season

改めましておはようございます。嵐の松本潤です。
今日のオープニングは嵐で『season』聞いてもらっています。
先週、嵐シングルカップリングベスト3の発表をしましたが、えー、この『season』はですね、4位にランクインしてました。
ということで。
えー、今日はですね、そのベスト10の中に入ってた曲をですね、あと・・・『season』含めて5曲あるので、えー、それを掛けたいと思っています。ハイ。
えー、早速ですがここでメールを1枚。
えー、新座市の**さん。
潤くん、おはようございます。おはようございます。
えー、潤くん、もうまもなく、えー、潤くんが生まれてから、えー、1万日・・になります。
それが今日なんだそうです。
2011年の1月15日。
えー、私・松本が生まれてから、えー、1万日・・・だそうです。
そしてジャニーズ事務所の門戸を開いてから5356日目になります。
えー、もう芸能のお仕事を人生の半分は続けているということになりましたね。
たくさんいたジュニアくんたちの中で、一握りの中から5人が集められて嵐になった。
えー、一緒に過ごしてきた時代の思いを共有出来る大切な人たちがいるのは奇跡のようにすばらしいことだと思います。
そのすばらしい瞬間を様々なメディア媒体から、特にコンサートからおすそ分けしてもらい、そのたびに嵐を好きになって、潤くんを応援するようになってよかって、って幸せを感じます。
なので芸能の世界に入って喜怒哀楽の約15年間を過ごして、今、入所時よりもさらにさらにいい顔になった潤くんを応援できたらいいな、と思います。
そう、何が言い切りたいかというと、嵐を好きになってよかった、ということです。
健康に恵まれ、怪我なく、思いっきり仕事できますように。
でも頑張り過ぎには気をつけて下さい。
というメールです。
ありがとうございます。
1万日だってよ。
全然想像つかないですけど。
1万日ってそんな長いんだね。
27年・・・ちょっと・・・4ヶ月くらい?
そう考えると・・・3万くらいはいけるのかな。
うまくいけば。
そう・・ま・・・でも、そうねぇ。
普通にいったら、ま、じゃ、3分の1くらい・・すごしてきたってことになるんですかねぇ。
いつまで生きられるかわかんないですけど。
まだ3分の1なんだって感じですけどねぇ。
相当・・・濃い人生を・・・過ごしてきたなぁと自分としては思ったりするんだよ。
1万って数・・・凄いんだね。
そう考えるとね。
なんかさぁ、コンサート・・とかでさ、何万人とかさ、数字っていうことでいうと、なんか・・・ね?例えばじゃ・・・CDが何万枚とかさ、・・・ま(笑)、日にちとはまったく違う計算なんだけど。それって。
数字的なことでいうとね。
うん。
いや、凄いことなんだな。
ハイ。
1万日目のワタクシ・松本潤、今日のこのラジオ、えー、精一杯がんばって、いきたいと思り・・ます。
ハイ。
思りますっていっちゃったけど。ハイ。
今日ですね、教えて!ベストアンサー、えー、嵐のコンサートで感じたちょっといい話・・ですね、ファイナリスト1名を発表したいと思います。
ではここで1曲。
えー、この曲はですね、カップリングベストで、えー、第9位に入りました。
『マイガール』のカップリングです。
嵐で『時計じかけのアンブレラ』。

時計じかけのアンブレラ

この曲は・・・かっこいいよね。
うん。
好きですね。
嵐で『時計じかけのアンブレラ』、聞いてもらいました。

<CM>

松本潤がお送りしている嵐・Jun Styleです。
えー、今回は”教えて!ベストアンサー”のテーマである嵐のコンサートで感じたちょっといい話についていただいた中からファイナリストを決定します。
その前に。
最後のエントリーメール、ご紹介します。
平塚市の○○さん。
潤くん、おはようございます。おはようございます。
私が嵐のコンサートで感じた、感動したエピソードを話します。
今年のコンサートはチケットが取れなかったので過去のコンサートの話です。
2006年の嵐初海外でのコンサート・台北公演での出来事です。
私は友達と日本からのオフィシャルツアーに参加し、2日間ともコンサートには参加したのですが、感動したのは2日目のことでした。
私たちはアリーナ席下手にいたのですが、2列後ろが現地のファンの子でした。
始まる前は日本語は話してなくて、でも”潤くん”とか”嵐”とか嵐さんに関するワードは聞き取れたので、嵐さんの話をしているのはわかっていました。
当時、日本で行うコンサートでは日本人以外のファンはあまり見かけない光景だったので、凄く印象に残っていました。
コンサートが始まり、時間が進んでMCで通訳の方がいましたが、現地のファンの子は通訳さんが通訳する前に反応し、笑ったり頷いたりしていました。
DVDのMC部分を見ていただけるとわかりますが、その収録されているまさにそのとき、”みんなどうやって日本語覚えたの?”という問いに、彼女たちは”嵐のために自分で覚えたよ~”と言っていました。
大好きな嵐のために凄いなぁとただただ感心しました。
独学だと限界があるはずなのに、彼女たちは完璧に日本語をマスターしていました。
嵐さんに対する凄い大きな愛を感じ、なぜか嬉しくなり、自然と後ろを向いて拍手をしていました。
私だけでなく、周りにいた日本から来たファンの子達はみんな拍手していました。
今となっては日本以外の国のファンの方はいっぱいいますが、この出来事は嵐さんが世界に羽ばたきだした瞬間だと思っています。
素敵なファンが世界中にいると思うと嬉しいですね。
潤くんは初海外コンサートの台北公演のこと、今でも覚えていますか?
当時のエピソードがあったら聞かせてください。
ということです。
凄い感動的でしたね。
覚えてます。
本当に初・・・が台北で。
で、しかも、そう、「ARASHI FIRST CONCERT」と銘打ってやったんですよ。
で、それは、その、そういうことは2005年か。
こう・・・ラジオやってて。
あのー、海外からのメールみたいのを凄く貰うって話をですね、2005年の年末にうちの事務所のスタッフとしてて。
海外とかでコンサートとか出来ないのかなぁってことをゆってて。
で、そっからリサーチとか含めて、まぁ、いろんなことをした結果、やってみても面白いかもねっていう話になって。
で、次の年に海外初めて出来たんですけど。
いろんなことがあって、ま、それまでそういう風に声を・・・たくさん頂いてたので、”お待たせしました”というキモチもあったんで、それまで自分たちのこう・・・ベストライブみたいなものを作る・・・ことがなかったんですね。
その都度その都度こう・・・更新して・・やってくようにしたいと、自分たちは思っていたから。
んで、そのアジア・・・のコンサート・・・台北とソウルでライブやるって決まったときに、これはなんか今までの・・総決算みたいのを1回カタチにしよう・・と思ったライブだったりもしたんで。
すげぇ楽しかったし、やってて。
んで、凄いなんかこう・・・みんなに待っててもらったんだなぁっていうのをライブやってる最中に凄く感じられたし。
凄い・・・楽しかったですね。
そのあと2008年にもっかい行ったときも凄い楽しかったし。
うん。
またちょっとタイミング見て行きたいと思いますし。
ま、行きたいとこばっかなんだけどね。
国内も・・・最近行けてないとこも多いですし。
ホントにたくさんツアーで回れたらいいなぁという風に思うんですが。
ハイ。
今年はどうなるかね。
ハイ。
では、ファイナリスト決定する前に1曲。
えー、聞いてください。
えー、この曲はカップリング、えー、第7位に入りました。
嵐で『いつまでも』。

いつまでも

嵐で『いつまでも』聞いてもらいました。

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一旦UPします。
久しぶりにAAAのDVD見たくなっちゃいましたっ。
というか、ARASHICコンのDVD、今かでもいいから出ないかな~。
記録用でもいいよぉ。
出してよぉ(泣)
エクステ潤くん、好きだったのにー。