せみ
今年も近くの公園からセミの鳴き声(じゃないんだよね)が聞こえてきた。
1日1日数が増えて、段々洗濯物を干したり取り込んだりするのが怖くなってきた。
干すときは近くにとまっていることがあるし、取り込むときなんて洗濯物にくっついてたりするし。
何が嫌いって、虫くらい嫌いなものはない私には、恐怖の季節だ。
夏が終わりに近づくと、セミは最後の力を振り絞ってセミ爆弾と化す。
道に腹を出して死んだと見せかけて、近くを通った途端ヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂッ!!とかいっちゃって
くるくるくるくる、ネズミ花火みたいに、あちこちに転がって私を死ぬほど驚かす。
それで何回コケたことか。
それでも秋には、道に転がっているセミは完全に死んでいる。
何年もの間、暗い地中ですごして、地上ではほんの1週間程度しか生きられない。
それを人間の時間に換算すると、364日地中で1日だけ地上で生きられるという感じらしい。
そのたった1日の間に、鳴いて鳴いて鳴き叫んで、相性のいいパートナーを見つけて、
交尾して、卵を産んで、道に転がるんだな。
とかなんとか、そんな話を友達としていたら、友達は「セミって哀れだよね」と言った。
その言葉を聞いて、似たようなことを言った人に
「セミは可哀相でも哀れでもなんでもない、ただ生まれて、ただ生きて、ただ死ぬだけだよ」
と言った人のことを思い出した。
擬人化して、動物に身勝手な感情移入する私は、そのことを思うたびにそれを思い出す。
私は虫が嫌いだから、セミを可哀相だと思ったことはない。
可哀相とかなんとか思う前に恐怖が先に立ってしまい、それどころじゃない。
だけど、哺乳類にはかなりの確率で感情移入する。
サバンナで足の悪いライオンの子どもが、親や兄弟のなす群れから置いて行かれたときや
障害のある猿の母親が、たくさんの猿がいる場所では絶対に自分の子どもに近づかないのは
障害のある親がいると子どもが群れの中でいじめられたり、群れから追い出されるからだと知ったときや
その群れから離れて、子と2匹きりの場では抱きしめて離さないと知ったときは
頭が痛くなるくらい泣いた。
次の日思い出して、さらに泣いた。顔は赤ん坊少女タマミのようだった。
だけど、そういう自分にちょっと疑問を感じてもいる。
豚肉も牛肉も鶏肉も羊肉も、ワニ肉もカンガルーの肉も食べる。
だけど、もしその肉を自分で育てて、自分で処理して食べなければいけなかったら
私は出来ないだろうと思う。
生まれたての子豚を世話して、その豚が懐いてしまったりしたら、さばくことは出来ないと思う。
そういう自分を嫌だと思う私もいる。
もし、娘が飢えて、それしか食べさせることが出来なかったら、するだろうか。
私は娘が本当にいとしい。とても大切だ。
たとえ、日常の中で自分の予定と違うことを娘がして、うんざりしても
わけのわからないことで一日中泣き喚かれて、イライラしても
自分を犠牲にするのは最小限にすると決めていても
やっぱり娘のことは可愛い。
動物を擬人化して、泣いているくせに、肉を食う。
パックになって、その原型を思い起こさずに済む、血も見えず、鼓動も感じることのない肉を食う。
そんな生物としては最下層ランクの私に
「絶滅すればいいのに」なんて思われる虫こそ気の毒だな。
2008年7月31日(木)PM:9:05に上げた記事です。
虫嫌いと擬人化について。擬人化する自分のことは割と関心のあるテーマ。
豚をしめてお肉にする仕事をしていた家に生まれた子に荒井くん(仮名)が投げた
「動物殺し一家」という言葉が常に中心。
野良猫をいじめていた荒井くんに「やめなよ、可哀相だよ」と言ったその子は
その時どんな顔をしていたか、どんな反応をしたのか、全然覚えていない。
私は東京生まれの東京育ちで、お肉というのはきれいに処理されたものでしかなかった。
荒井くんたちが住んでいたのは、東京ではない。
周りにそういう関係のおうちはたくさんあった。
私は肉を食べて生きていることと動物を愛する気持ちを、きちんと自分の言葉で語れるか。