昔あったはなし
前に会社にいたときのことなんだけど。
私を含めてわりと気の合うグループみたいなのがあって、一緒にランチしたり
招待のプレセールに行ったり、まあ時には仕事の後で食事に行ったりしてたのね。
まあ一般的にいう、大人の付き合いという感じなのかな。
私とJPみたいな友達じゃないけど、気の合う職場の仲間みたいな。
その中で交流が深まって、JPみたいな存在になるかもしれないし、それは時間の中でどう転がるかみたいな。
ある時、同じ部署に新しい子が来て、ピントはズレてるけど、まあ人懐っこい子で
私ともう1人は特別苦手だとかは思わなかった。
思わなかったけど、特別気が合うわけでもなかったんだけど。
私たちはわりとにぎやかに和気藹々としていたから、その子も話しやすかったのか
なにくれとなく話かけてきたし、お昼いっしょにいいですか、みたいな感じだったんだよね。
最初のうち「いいよ、いいよー」って感じだったんだけど
もともと気の合うグループの1人が徹底的に気が合わない、って気付いた。
私たちは付き合いもわりと濃かったから、ほんの少しでピンときたわけ。
だから、なるべくそのグループで動くときは、断ったり、知らせないようにしたのよ。
ところが、なかなか天然さんらしく、気付く様子がなくてね。
うーん、となったのさね。
その気が合わないって思った子は、そういうのが長く続くとすごく心労を受ける子だったから心配だったし。
ちょっとそれが続いたとき、その合わないなと思った子が心底疲れちゃったんだよね。
でもさ、なかなか「あんた苦手なの」って言えないじゃないっすか。
いろんな経験して大人になって、世の中って難しいって知ってるし。
それを言うには自分も相手も傷つくことを知ってるし。
それなりに時間を積んだもともとのグループの私たちは、そういうの割とすぐ理解しちゃう。
でもその子は理解出来なかったんだよね、多分。
すごい積極的に頑張っちゃったんですよ。
その時、私は思ったね。
人には相性とか色々なんかあるけど、一番はタイミングと時間だなって。
リサーチにリサーチをして、さらに相手のことも知るために、長いスパンで、具体的には1年とか2年くらい?
かけて、そこからやっと始まるんだなぁって。
その1年とか2年の間って、ほんとに手探りで慎重にしないと
こじれたときに全部だめになることってすごく多い、
だってね、私と最も仲良しのJPですよ。私は今、やつのためならメロスしますよ。
命がけっていうのと違うんだけど、出来うる限りの最大の力を振るうって思うかけがえのない人。
そんなJPだけど、今、もし今出会ったら非常に相性悪いです。
向こうもだけど、私も合った瞬間に「うわ、気にくわねえ」って思うはずなんすよ。
もともと、あんまり合うタイプじゃないから。
けどさ、そんな私たちでも10歳で出会って、かれこれ25年、四半世紀の時間をかけたら
メロスですよ。
いや、必ずしもメロスになれるとは言えないけどね。
四半世紀の間には超過酷な時期が、それこそ恐ろしいほどあったからね。
殴り合い寸前のケンカしたりね。火のついたボールを思い切り投げつけられるような毎日。(言い過ぎ)
でも、まあ時間をかけたり、知りたいと思う気持ちが双方にあれば、そうなることもある。
だからね、人間って引くときは引くのが肝心だと思ったってわけ。
ダメなタイミングは何してもダメで、それどころかその溝が徹底されちゃうんだよね。
離婚とかもそういう感じなんだと思う。
いろんな理由はあるだろうけど、ほんと、ちょっと強烈に「この人だめ!」って思っちゃうと
人間て簡単に修正効かないもんなんだよね。
あんまり強く出来てないんだろうね。
そういうときに、あんまり修正しようとか頑張っちゃうとほんとに嫌がらせみたいに感じちゃうことある。
特に難しいのはさ、グループ単位で考えちゃうことがあるとき。
私や、他の子は、その子のこと別に嫌いでも何でもなかったの。
だから普通に会話したり、時には仕事帰りに一緒に本屋に寄ったり、駅まで一緒したりしてたし。
そういうの小学生じゃないから、仲良しの子がその子を嫌いだってことで嫌ったりは当然しないわけ。
でもさ、いくら仲良くても当たり前に、それぞれ別人でさ、他の人が嫌ってないからって
みんなもそうとは限らないでしょ。
で、さらにグループ的に動くことも多いから、なんとなく馴染んだ風に感じちゃうけど
その中に徹底的に苦手、って人がいたら、それなりに歴史を積んだ分
そっちを優先させるんだよね。私たちも。
それはもう仕方ないよね。だって全員別人格なんだし。
グループはグループとして、その子はその子として付き合っていくってのが自然だと思うんすよ。
私たちも入社して「今日から仲良くなりましょー!」「はーい」ってわけじゃないからねえ。
それぞれがバラバラにそれぞれと親しくしていた結果、なんとなくそういう形になったってだけ。
それも小学生の班決めじゃないから、入れる入れないとかって問題でもなく。
それぞれがそれぞれとJPと最初のころしたような紆余曲折の中で少しずつ形成されるんだよね、多分。
いつの間にか、そういう風に形に組み込まれたりするもんなんだと思う。
人と人って難しいけど、その過程が辛いけど、それが醍醐味なんだろうなって思うのであった。
私が「その子」だったときもあるの。
会社で、ではないけど。そしてその時は難しいことに相手が言ってくれない人だった。
そういうことに比較的敏感というか、自意識過剰というかな私はすぐそれに気付いた。
ところが、さらに複雑なことに、その時は周りが誰も気付いてなかったんだよね。
その言わない子以外は「ウエルカムだよ!」みたいな。
いやー、考えたね。私も。
私は誰のことも特別な思いで見てなかったけど、普通に付き合いたかった。
だけどさ、やっぱりそんな時でも時期とリサーチが必要で、その上私自身が本当にそこで
コミュニティに組み込まれたいのか、どれくらい強烈なのか、そしてそれはどれくらいの間
持ちつづけられるのか、自分で知らないと、どっかで誰か傷つくよね。
まあ、もともと私という人間は「個」と「個」の付き合いに重きを置くタイプなんだけど
だからこそ、居心地の良いグループ的性質のものは大事にしてる。
こういう状況って、この話の中の、どの立場でもそれなりに辛いし、悩むよね。
私も会社の時は、しんどかった。
グループの子のことは好きだったから、悩んでる姿を見るのがしんどかった。
その子の、なんというか求める姿を見るのも投影してしんどかった。
かと言って、私に出来ることはほとんどなかったから。
人は本当にそれぞれ違うから、少し間をあける、の「少し」すらどれくらいなのかわからない。
2、3日なのかもしれないし、1ヶ月かもしれないし10年かもしれないから。
そういう見極めは難しいけど、それが後にものすごいものに化けることがあるから
自分の求めるものを知り、それに対してどこまで情熱を持ちつづけられるかって大事だなー
と、自戒を込めて思うわけですよ。
傷つきたくもないし、傷つけずにもいたいけど、それは本当に難しいっすなぁ。
うーん。今日も絶好調で長いっ。
…すいません、くだらない話で(笑)
JPんちに、今日もまた行ったら、ちょっと思い出したんで書いてみた。
2008年7月12日(土)PM:11:30に上げた記事です。
これについては、ものすごく色々思うところがあるんだけど、またそのうちここに追記する。
一つだけ忘れないうちに書いておこう。
何らかの予期しない負を呼ぶ事が起きたとき、その軌道を修正していくことの出来る人間でありたい。
感情や相互性を含めて。人をそうしたいのでなく、個として。
しかし、これを読んで、これに対してどう思ったのかをコメント(情報共有)していたら
負は育ちきらなかったんじゃないかと思う。もったいない、と思ったんだけど、追々の方がいいのかな。
でも基本ミューチャリティがない場合の追々は破滅を招くと思う。
オープンな場の情報共有は大事な基本だ。