実が熟しゆく過程 | ☆空飛ぶ もとちくれった 出張所☆

実が熟しゆく過程

これから書くことは、私の思春期から持ちつづけていた一連の疑問と迷いに、一つの答えを得て成熟の段階を1段進んだと生まれて初めて体感したこと、生って随分時間が経つのに、一向に生育の成果を見せない小さな若い実が熟し始めたことを忘れないための記録みたいなものになると思う。

だから、いつも以上に話が飛躍したり、いつも以上に破綻をきたしたり、読んでもさっぱり意味がわからないようなことになったり、一つのことに複数の答えが書かれていたりするかもしれない。
それは、まだ私がこれを得たばかりで、そしてまだ昨日までの自分に捕らわれている部分であると思う。首まで浸かった、スライムのような、迷いと言葉にならない疑問と苦しみだったものを整理し、今の私を少しこざっぱりさせるための「踊り場」として書きたい。まあ意味がわからないのは、文章力がないことが最大の原因なんだけど。

複数の解釈や答えを持ってしまったものは、頭が整理され、出すべきものが出された後に、私がどれを本当の答えだと感じたかも整理されるだろうと思っている。

 
 私が真っ先に「これだ!」と感じたのは、私の中にいつも、常に意識しつづけてきた、迷いと言葉にならない疑問と苦しみを、一つのメカニズムとして整理するための答えだった。常々、感じていることとして「メカニズムを知ったところで何の役にも立たない」ということがあるのだけれど、一つわかったのはメカニズムに落とし込むことが出来、それを「自分自身」が回答であると心底感じたときには、それは指針となりうるということだ。

後々、その指針を再度、洗い出し、検討しなおし、修正したり、削除してやり直すはめになるとしても、それは自分のことを考える強い土台となる。失ってもなお。

そのメカニズムとは、「他者」という最大の関心である概念から多きに渡って、私の生まれ育った共同体では二重の意味がもたらされているということと、二重であるわりに社会の形は、日本で独特に育まれた「甘え」がベースだということだ。この「甘え」は子犬が親犬に甘える場合の「甘え」とは異なる。

 
 私が常日頃使用する、「他者」は「異なるものでなる」人だ。牛男さんの記事 では例として書かれた部分の「異なる価値感情を持つ人」と同じように感じる。(ただし、私は、そのことは意識していたけれど、その認識と、私の持つベースの違いを理解していなかった。混在していることにマヌケにも気付いていなかったから苦悩していたのだと思う)

日本文化における「身内」や「見ず知らずの人」や「知り合い」といった、自分を中心とした対人サークル内の遠近ではない。身内であろうが、遠くの人であろうが、さっき通りかかった人であろうが、友人であろうが、「他者」であることに変わりはない。愛する夫であっても、娘であっても「他人」だ。私は自分や人というものを理解することのイメージとして、人は砂浜であると考えている。砂浜の砂粒の数を数えきることなど出来ない。出来ないにも関わらず数えることが私の「個」への理解のイメージだ。(自分を理解することも含めているため、「他者」とはせず「個」とした)

私はとても濃く、先に書いた日本独特の文化における「甘え」を持っている。人一倍それを求めてもいる。それは私が母を失ったときから、最も濃い「甘え」を許す場を持ち得なかったからだ。私は虐待されたり、放置されたりしたこともなければ、愛されなかったとも思ったことはない。物理的にも精神的にも。記憶がないわけではなく、ない。大きな病を持ったこともなく、障害と言われるものもない。端から見たら恵まれた環境だと言われることもある。それでも私は「甘え」を拒絶されてきた。

その背景をこの先も書く予定はなく(と言っても明確に決定しているわけではない。私はあまり物事を明確に決めることが多くない。そのうち書くかもしれないしわからない)それを悩んでもいない。ただ、私はそれがどういった理由から起こったのか、何故なのか、腑に落ちることを知りたかった。その答えが「他者」にとって答えとなりうるかどうかも知らないし、わからない。それが答えとなりうるには出会うときが最も重要だと思うし、出会わない人もいるだろう。出会っても答えとはなりえないこともあるのかもしれない。個人的には日本という共同体で暮らす以上は必ずどこかの段階でこの答えは大きく関わってくるだろうとは思うけれど。

私は枝葉末節というと聞こえが悪いが、目の前に立ちはだかる問題そのものを解決するということが上手くない。いつもその根を探そうとしてしまう。ある意味全ての事象に根を見出していしまうことが歪んでいるのかもしれない。そういう極端な性格形成が成されているため、なかなか一般化できる考えが持てない。

 
 母が死んでから「甘え」を拒絶された、と書くと、父が恐ろしく冷たい人間であるように見えるかもしれないけれど、そうではない。父は父の持つやり方で、私を、妹を愛しつづけていると思う。それでも私は私の置かれた環境が本当に辛かった。

そういった密かな苦悩を誰かに告げることは恐ろしくて出来なかった。(試みたことはあるのだけれど、上手く言葉に出来なかったため、相手をとても悲しませたと思う)
はっきりとそれを、受けられなかった、奪い取られた、持ち得なかった、そういう人たちに「あんたみたいに恵まれた人間なんか嫌いだ」「おまえは私とは違う」「幸せな人間のことなど理解したくない」と言われることが心底怖かったからだ。私は決して幸せな人間ではない。不幸ではないが幸せな人間ではない。そしてその間というわけでもなかった。だからどちらの側からも拒絶されるのが怖かった。私の持つ苦しみに高低や善悪、大小をつけられることが怖かった。「より苦しい」「よりましである」そう評価されることが死ぬほど怖かったのだ。

そしてその思いとともに、そういった人と直接的に交流を持ったこともほとんどなかった。交流を持たなかったのは拒絶が怖かっただけではなく、私がその痛みを理解することはないことを知っていたからでもある。私の持つ共感や肯定はかなり狭い。共感する能力は最大限に伸ばされたと感じているが、それが及ぶ範囲が狭く、それを活かすだけの自己を持っていなかった。「同じような感覚」(だと思える事)を経験したように感じる、という意味の共感は数限りなく、底浅く持ってはいるけれど。

そんな調子の成長でしかなかったのに、私は誰かの苦しみや哀しみや怖れを見るのが嫌だった。笑っていて欲しいと願わずにはいられなかった。そういう言葉や思いが偽善的で、極めて利己的であるという判断を下しているにも関わらず。

その矛盾を私は長い間、漠然とした形で、でも大きな範囲を占めて持ちつづけた。それを持っていることが嫌でたまらなかった。その答えの一角は、答えを得た今もまだ未完成ではある。あるけれど、私がその矛盾を持つ理由を得られたことが、今回の1ステップの終わりだと思う。矛盾を矛盾として、それを持つことの理由さえわかれば良かったのだと思う。その答えを得て、私の思春期が終わったと言える。次へと進んだと確信した。


 メカニズムをこの答えが作り、それを指針としたところで、対人では活かせないのは「他者」という「異なるものからなる」存在だからであるのは先に書いたとおり、この先も私は「他者」をこの定義をもとに価値付けしたり、それを元に関係構築することはない。

「個」と「個」の関係構築においては、今まで暫定的に採用した、『相手の持つ「好悪の傾向」と「価値基準」、背景』をもとにするだろう。どんな答えを得たところで、私は「個」の持つ思想でも傾向でも価値判断でも、それを司るのは、快不快から成した好悪であると考えているからだ。それを土台として据えたことへの揺らぎはない。人は成熟する。成熟の過程において得たものすべては、その好悪を時に覆い、時には覆すといった、反する判断を持つことも知識として持っている。それを踏まえても揺らぎはない。

私の持つ「甘え」に由来した「個」へのこだわりに対しても、このメカニズムによって答えを得た。私は私の持つ定義と違う部分への疑問を持っていた。そしてその疑問すら何なのか解っていなかった。ただ違和感として持っていただけで何が何なのか、わからないこともわからなかった。

私が育んだ「他者」という定義が、私の持つ日本独特の「甘え」から育まれる「他者」の定義とはズレがあるということ、私の持つ土台から成長するはずの「他者」は育たなかった。私が持った定義は元来育ち得ないはずのものであることを、私ははっきりと認識していなかった。私は私の育んだ元来のものに、後天的にしかし自然発生的に、さらには対抗するものとして得たものを、その土壌を無視し、生育環境も整えず無理やり挿し木していたのだ。


 利他的になることを漠然と目的にしていたのも頷ける。どうあがいても自分が利己的であることへの否定を持てないにも関わらず、成熟の行く先が利他的な人間であることに置いていたのは、自分を知ることによって得た認識と、漠然と持っていたベースが異なる性質のものであることに気付いていなかったからだ。

その漠然とした何かを持ち始めてから、この気付きに出会うまで、なんとなく答えに近いところにある解釈や思想や言葉や文章や感覚には出会っていたし、気になったことも多数にあるのだけれど、理解力が低いのか、頭が悪いのかわからないけど、腑に落ちて来なかった。

そして、その答えを得たのに私はやっぱり、人に拒絶されることは怖いし、関わる際の好意を求める自分を成長させられない。拒絶を受けたり、嫌われることは怖いけれど、当然仕方のないことだとも思っている。「なんだかこの人嫌い」と感じたとき、それが私の投影であることがわかっても、どうにもならない。投影をしていると自覚することと、それをはずすことはまた別のことで、今の私にはまだ出来ない。まったく36年近く生きていて一体何をやっているんだという感じではあるし、情けなくもあるけれど、まあこれが今の限界なんだろうと、ちょっとだけ楽観する目も持ってはいる。


 気付きはいつも、その辺に転がっていて、それが気付きだとわかっていても、実際の気付きとして実感し得ないのだということ、そしてそれはどんなに言葉を尽くしても、どんなに情熱を持ったとしても、どれほど利他的であったとしても、相手がそのタイミングでなければ伝わることがないこと、それでも、伝えたい、役立てたい、と思うこと。

それらを実感することが出来たのは、私の人生において初めてのことだった。この感動が、初産の苦しみを忘れて、また出産に挑めるように、忘れながらも次のステップへ進み、また旅をする糧になるのだな。

ブログ、開設してよかった!!

◆オマケ◆
これを上げるにあたって推敲したつもりなんだけど、実は校正作業が最も苦手なことを思い出した。
単なる誤字脱字などなどの言い訳です。



2008年7月7日(月)PM:11:07に上げた記事です。ですってついたりつかなかったりしてるな。

これ私が「ブログ」という場所で書いた最上の記事。
これにとても重大な事実が書かれていて、私はこれを書いた後はいつでも、ここからその事実を
すぐに取り出して、明確に意識したときのことを思い出せる。
このきっかけになった本は、再読後、さらにまた読んでいるけれど
それをもとに考えると、今まで疑問だったことに対する、すべてのつじつまが合う。
当然、こういった論は批判もあるのだけれど、批判はどれも弱く、その代わりとなる
すべてのつじつまが合うような論はない。

この本を本当に素晴らしいと思う理由の1つに、日常的な言葉で書かれているということがある。
専門的な分野のことは、専門用語を使うことがとても多くなり、菓子パンのように、すっと食べられない。
硬くて塩も使わず、焼いて何日も経ったフランスパンを食べるようなものだ。
(ここ数日、食べることの比喩ばっかり)
「外界認識の原基的機制の一斑を照射しうる認識論的視座」は
「彼は座って、りんごを手に取り、眺めて食べた」と同じくらいの認識では理解出来ない。 
知識は、専門的な話を一般にフィードバック出来るくらい、血肉として取り込むことが出来て初めて活きる。
専門分野で、専門家しか読まないものでも、そういった書き方が出来るくらいになりたい。 

書かれていることを据えて、日本における共同体、社会を見れば、そのメカニズムがよくわかる。
さらに、使用する言語のファジイさの理由もよくわかる。
これを知っているのと知らないのとでは、天と地ほどの差がある。
メカニズムや言語性の基となる概念を知ることによって、対策は立って、思考は広がっていく。
そうすることが、私のあり方の土台を作る礎になる。
最もすごいのは、その漠然とした理論をほとんど人は感覚的に知っているのだけれど
それを理論として破綻なく言語化し、私が生まれたころから今も人を知る手がかりの中心となっていることだ。
誰も言っていなかったことを、初めて言うというのは本当にすごいことだ。