本題の前に
ついこの間、随分前に書いた、思いやりってなんだろう?
というあたりの記事から考えていたことの答えとめぐり合った。
核心部に触れたと思う。私の中で、ひとつの答えが出る瞬間に差し掛かったと言ってもいいと思う。
最後のきっかけの一つは学生の頃、10年以上前に一読しただけで、購入に至った本。
再読の機が今であったというのは運命だとすら思う。
私が、その本の内容をきちんと咀嚼できる力と知識を持ったんだと感じる。
そして、もう一つは牛男さんの記事。
最後の最後のきっかけに、その2つと、今このときに出会えたのは本当にツイていたと思う。
なのに、感動しすぎているのか、荷が勝ちすぎなのか、まとめられないでいるのだけれど
少しずつ文章にはしつつあるのだけれど、その前に。
2年ほどの時の間、ほぼずっと、ブログで出会った2人が一緒だった。
それぞれ、自分の中で起こる疑問や、何やかやについて考えていただけかもしれない。
だけど、何でかずっと一緒だったみたいな気がする。
不思議なもので、生まれて35年と3分の2くらいの間に
私はここで出会ったほど、好きだと思う人に出会ったことがない。
たった3年。たった3年間に私は「この人」と思う人に3人出会った。
PCのこちら側では35年と3分の2の間に3人なのに。
そのうちの1人のことは、ずうっと前に書いた。
今日は2人目の人のこと。3人目の人とは、これからたくさん話して、いつかまた書けたら嬉しい。
もちろん、ブログ上のことしか知らない。
いつかどこかでリアルに会うことがあるのかないのかも知らない。それはどうでもいい。
会うときは会うだろうし、会わなければ会わない。
ここで必要なこと以外、何も知らないままでいい。
ずっと、この先も何かを一緒に考えることが出来たらと心から思う。
文字だけのやりとりは、すべての面を見ることも、知ることもないのだろう。
だからいい関係が築けるとも聞く。いい関係かどうかなんて、どうだっていい。
当然、好きな人には好かれたい。でも、好かれなくても、仕方ない。
好かれなければ交友は出来ないかもしれないけれど、これから交友が途絶えたとしても出会えてよかった。
相手がどう思うかは知らないし、知らなくていい。
でも、ほんの一瞬でも、同じような気持ちではなくても、心底出会ってよかったと思ってくれたら
とても嬉しい。
似ている形を持つ人とは、持たない人よりは通じることが多いと思う。
ものの見方も似ていれば、のびのびと会話も出来る。
それは本当に心地よくて、ありがたい。
たとえそれが、私の持つ「甘え」がもととなった感覚だとしても、持ててよかったと思う。
これから、やっとたどり着いた、一つの答えから私は多分次の段階に進む。
最終的な目的は「完成した自分はどんな生き物か」ということだから、完成したと思わない限り
(多分ずっと思わないのだろうとも思うけれど)終わらない。
今たどり着いた一つの理解は、言葉に、文章にしたら、私の表現力や文章をつづる力では不足があるし
「そんなの当たり前だし、みんな知ってますけど?」ということなのかもしれない。
もしかしたら、ものすごい気付きで、すごいことだったとしても伝わらないとも思う。
でも、今このたどり着いたと確かに感じた気持ちは、なくならない。
そして、多分、その人には伝わると思う。いままでのように。
その答えを求める中、ずっと良き理解と、良きアシストと、良き後押しをしてくれた人は
私がブログを始める前から、心に描いてきた成熟へのロールモデルに重なった人だった。
いつもほんの少し先にいるような、ずっと先にいるような、横にいるような感じがした。
少し離れてそれを見させられる人は、私がその人を誉めたたえているように見えたと思う。
そしてそれが、時として、その人に少し恥ずかしい思いをさせたこともあると思う。
私には、あまりWEBという概念がなく、自分の立ち位置は常にPCのこちら側と同じだったから
いわゆるWEB上の作法やルールのinなことを知らない。
その部分では、ちょっぴり申し訳ない気持ちもあったりする。
1つの答えに出会った記念に書きたかった。本当に感動した、すごい出来事だから。
いつか、私の描くロールモデルとは、ずれるのかもしれないし、それ自体はどうでもいい。
その人がそのロールモデルと重ならない人だったとしても、私はその人と出会いたい。
その人とは、反することや重ならない、理解の及ばないことがあったとしても
絶対に、今と同じ関係性を持つことが出来ると信じている。
本当に出会えてよかったと心から思う。
会わせてくれたすべてのものに感謝する。
2008年7月5日(土)PM:9:44に上げた記事。
この後、私は個人的にとても重大なことを記事に書いたんだけど、こっちのがウケたみたい。
不思議と、人間は「人と人」の間で起こる波のようなものに触れると共鳴する。
私は、よく言えば素直な性格で、いわゆる感動ポイントなどではすぐ泣く。
もちろんそれでいいと思っていて、いいと思うからそこを育てているのだけど。
だけど、性善説を信じてはいない。人間というのは元来、身勝手でわがままでうそつきで怠け者だ。
この記事とは、ちょっとずれるけれど記事後半部分でちょっと触れた
WEB上における立ち位置に最近注目している。
基本的には現実と変わりのないものでありたいし、
どんな場においても対人のあり方は変わらない。そこが変わらない以上はルールも変わらない。
そうでないものが防犯以外の目的等で必要だとは思わない。
思わないんだけども、対人の場においては相手がそうでない限り、その立ち方は良いものでもないなと思った。
そしてそれは逆にPCのこちら側の立ち位置を改めることが必要なのかもしれないとも思う。
そのうちなんか書こう。そういう気分になったら。