ご飯がないならパンを食べればいいのよ
ご飯とパン、どっちかを選べという状況には時たまめぐり合うけれど、この先どちらか片方しか食べてはならぬ、という状況にはきっと出会うことはないとは思います。たまに、どちらが好きですか?と聞かれることもあります。そんなとき、私はそこまで真剣に考えなくても…というくらい真剣に考えます。そういうことは、個人的にとてもよくあります。そこまで突き詰めなくても…とか、そんなに深く悩まないでも…とか。お題は問わずにそういうことはあるので、きっと、それが楽しいのだろうなぁと思います。それかどちらかを選ぶこと自体が難しいので余計に真剣になってしまう、とか。白玉すら命をかけないと選べません。
さてさて、私はパンが大好きです。しかし、その大好きは本当に大好きなのか。大好きの度合いを考えると、一日一食はパンを食べたいくらいの大好きです。毎食毎食ずっとパンを食べたい大好きではありません。…ということは厳密には大好き、という言葉を使うのはおかしいかもしれません。(これは使っている人に対して思うのではなく、自分が使うに当たっての考察です)
ちょっとした雑談をしているとき、自分の嗜好についての話になって、それを話半ばで「あっ知ってる~」と横取りした挙句、「あたし○○大好きなんだよね~」「あたしはさ~」と毎回「それ知ってる~」「それさ~」と話を横取りしたうえにキャッチボールさせてくれずに会話を締められてしまうと、軽くムカついてしまいます。あくまでも問題は「毎回・話し半ば」というところです。会話の乗っ取り屋の人と話すのは楽しくありません。あんまり真剣に話を聞いていなければいいだけのことかもしれませんが、それが毎回毎回だとその人がいるときに会話をするのが嫌になります。そんなに大好きなら、最初から自分でその話をすりゃあいいのに。そういうことを考えてしまうと世間話というか、何気ない会話というのは面倒で不愉快なもんだな、と思います。猫と話しているときにそういう風になったら「うるさい、黙れ」とか「まず聞けよ」と言って奪い返すんだけどね(゚∀゚)
そんな気持ちを持ってしまうことも多いので、自分の大好き度にも結構色々考えます。海外旅行をしたときに、私の場合1番恋しいのは「ご飯」です。特に、毎食炭水化物がイモ類かパン(小麦の食べ物)しかないと、ご飯が食べたくてたまりません。ではライスを、と食べてみると、日本のおコメではないので、水分量や味も違います。パラパラのおコメも美味しいけれど、私にとっての主食であるご飯は、やっぱり日本で炊いた、日本のお米です。だからといって、日本が世界一とは私は口が裂けても言いませんが。世界一は自分にとって世界一であれば、他者にとっての世界一とは被らないほうが何かと良いです。
一日に一度はお米を食べたい。てことはご飯とパン、どちらが好きかというジャッジは同点?ていうか、ジャッジするポイントが摂りたい回数なのですな。私の場合。味、のみで考えると、パンは塩を使っていたり、バターを使っていたりする場合はパンの勝利です。無塩、無バター、無卵、と考えた場合は、ご飯です。3無パンはあまり好きではないです。パン屋さんで、パンの焼ける匂いを嗅ぐとフラフラと入って、つい買ってしまいます。お水の美味しい地域で、取れたばかりのお米を、好みの水加減で炊いたばかりのご飯はとても美味しい。その時その時で食べたい、と感じる気持ちは別として、トータルバランスで考えても引き分けです。
じゃ何故、ご飯大好き、とはあまり言わないのに、パン大好きと言うのか。私の認識では「ご飯」というものがより密着していて、言わば空気のような親のようなものなのかもしれません。パンは密着度が低いから、わざわざつけているのかな。密着度が低い、とはいえ、私が生まれ育った家では、母がパン好きなため、ご飯とパンの比率は同じくらいだったと記憶しています。自分が幼いころの離乳食の記録にも、よくパン粥が記載されていたし。
学校給食を入れたら、やっぱりご飯率の方が高いか。パンの歴史が浅いせいなのか。結論を言えばそんなことはどうでもいいのですが、パンが好き、というのをわざわざ強調する形の表現にするのは何故なんだろう、と漠然と考えます。考えては途中で忘れてしまっているわけですが。ああ、今は美味しいパンがとっても食べたい…。
2006年4月23日(日)PM:1:05に上げた記事です。
むちゃくちゃ中途半端に終わったのでヤフーでは非公開です(笑)どちらがより好きかという選択はものがなんであれ、結構難しいです。大好きの定義が自分の中では結構はっきりしているので、自分が大好きなものに対して同じ人に年がら年中、闇雲に「あたしも大好き」と言われると心の狭い未成熟な私は「うそつけコノヤロー」と密かに思ってしまったりします。ただ単に私の「大好き」とその人の「大好き」の定義が違うだけなんでしょうけれど。ああ、この根っからシュマーク層的発想、どうにかならないものかしら。我ながら嫌気がさしつつ、今も「うそつけコノヤロー」と思うこともあります。
さてさて、私はパンが大好きです。しかし、その大好きは本当に大好きなのか。大好きの度合いを考えると、一日一食はパンを食べたいくらいの大好きです。毎食毎食ずっとパンを食べたい大好きではありません。…ということは厳密には大好き、という言葉を使うのはおかしいかもしれません。(これは使っている人に対して思うのではなく、自分が使うに当たっての考察です)
ちょっとした雑談をしているとき、自分の嗜好についての話になって、それを話半ばで「あっ知ってる~」と横取りした挙句、「あたし○○大好きなんだよね~」「あたしはさ~」と毎回「それ知ってる~」「それさ~」と話を横取りしたうえにキャッチボールさせてくれずに会話を締められてしまうと、軽くムカついてしまいます。あくまでも問題は「毎回・話し半ば」というところです。会話の乗っ取り屋の人と話すのは楽しくありません。あんまり真剣に話を聞いていなければいいだけのことかもしれませんが、それが毎回毎回だとその人がいるときに会話をするのが嫌になります。そんなに大好きなら、最初から自分でその話をすりゃあいいのに。そういうことを考えてしまうと世間話というか、何気ない会話というのは面倒で不愉快なもんだな、と思います。猫と話しているときにそういう風になったら「うるさい、黙れ」とか「まず聞けよ」と言って奪い返すんだけどね(゚∀゚)
そんな気持ちを持ってしまうことも多いので、自分の大好き度にも結構色々考えます。海外旅行をしたときに、私の場合1番恋しいのは「ご飯」です。特に、毎食炭水化物がイモ類かパン(小麦の食べ物)しかないと、ご飯が食べたくてたまりません。ではライスを、と食べてみると、日本のおコメではないので、水分量や味も違います。パラパラのおコメも美味しいけれど、私にとっての主食であるご飯は、やっぱり日本で炊いた、日本のお米です。だからといって、日本が世界一とは私は口が裂けても言いませんが。世界一は自分にとって世界一であれば、他者にとっての世界一とは被らないほうが何かと良いです。
一日に一度はお米を食べたい。てことはご飯とパン、どちらが好きかというジャッジは同点?ていうか、ジャッジするポイントが摂りたい回数なのですな。私の場合。味、のみで考えると、パンは塩を使っていたり、バターを使っていたりする場合はパンの勝利です。無塩、無バター、無卵、と考えた場合は、ご飯です。3無パンはあまり好きではないです。パン屋さんで、パンの焼ける匂いを嗅ぐとフラフラと入って、つい買ってしまいます。お水の美味しい地域で、取れたばかりのお米を、好みの水加減で炊いたばかりのご飯はとても美味しい。その時その時で食べたい、と感じる気持ちは別として、トータルバランスで考えても引き分けです。
じゃ何故、ご飯大好き、とはあまり言わないのに、パン大好きと言うのか。私の認識では「ご飯」というものがより密着していて、言わば空気のような親のようなものなのかもしれません。パンは密着度が低いから、わざわざつけているのかな。密着度が低い、とはいえ、私が生まれ育った家では、母がパン好きなため、ご飯とパンの比率は同じくらいだったと記憶しています。自分が幼いころの離乳食の記録にも、よくパン粥が記載されていたし。
学校給食を入れたら、やっぱりご飯率の方が高いか。パンの歴史が浅いせいなのか。結論を言えばそんなことはどうでもいいのですが、パンが好き、というのをわざわざ強調する形の表現にするのは何故なんだろう、と漠然と考えます。考えては途中で忘れてしまっているわけですが。ああ、今は美味しいパンがとっても食べたい…。
2006年4月23日(日)PM:1:05に上げた記事です。
むちゃくちゃ中途半端に終わったのでヤフーでは非公開です(笑)どちらがより好きかという選択はものがなんであれ、結構難しいです。大好きの定義が自分の中では結構はっきりしているので、自分が大好きなものに対して同じ人に年がら年中、闇雲に「あたしも大好き」と言われると心の狭い未成熟な私は「うそつけコノヤロー」と密かに思ってしまったりします。ただ単に私の「大好き」とその人の「大好き」の定義が違うだけなんでしょうけれど。ああ、この根っからシュマーク層的発想、どうにかならないものかしら。我ながら嫌気がさしつつ、今も「うそつけコノヤロー」と思うこともあります。