良き理解者であれ
トラックバックではないとはいえ、わたりとりさん宅からお越しの方もいらっしゃると思いますので
お断りを。
私は自分が大好きで、ブログでも自分のことばかり書いています。
いわゆる自分語りブログです。それ以外に興味はないと言っても過言ではありません。
ですので、記事を読むことで時間を無駄にしてしまうかもしれません。
大変申し訳ないのですが、価値は私にしかありませんので、ご留意いただければと思います。
お断りを。
私は自分が大好きで、ブログでも自分のことばかり書いています。
いわゆる自分語りブログです。それ以外に興味はないと言っても過言ではありません。
ですので、記事を読むことで時間を無駄にしてしまうかもしれません。
大変申し訳ないのですが、価値は私にしかありませんので、ご留意いただければと思います。
本題に入る前にいくつか、心に湧いたことを書きとめます。
一つ、気付いたのは私は観察者であって、研究が好きだということ。
情報や答えを持つ人間ではない。
私はいつも良き質問者でありたい。他者にも自分に対しても。
良き質問者がいて初めて、ものごとは進み始める、そう信じています。
そんな私は他者を羨望する、強烈な気持ちがありません。
一つ、気付いたのは私は観察者であって、研究が好きだということ。
情報や答えを持つ人間ではない。
私はいつも良き質問者でありたい。他者にも自分に対しても。
良き質問者がいて初めて、ものごとは進み始める、そう信じています。
そんな私は他者を羨望する、強烈な気持ちがありません。
本題に入ります。先日、ヤフーのトピックスに「なりたい顔第1位伊東美咲」とありました。
私は別段美人でも、特別可愛くもありませんが、誰かの顔になりたい、と思ったことはありません。
綺麗だなー、いいなぁと思う瞬間はありますが、それだけです。
たとえ軽い気持ちでも「あんな顔になりたい」と思ったことはありません。
それと同じように、格闘技でも自分の出来ないことを体現している人を羨むことはありません。
私は別段美人でも、特別可愛くもありませんが、誰かの顔になりたい、と思ったことはありません。
綺麗だなー、いいなぁと思う瞬間はありますが、それだけです。
たとえ軽い気持ちでも「あんな顔になりたい」と思ったことはありません。
それと同じように、格闘技でも自分の出来ないことを体現している人を羨むことはありません。
そんな私が、何故わたりとりさんの記事を読んで頭が熱くなったのか。
ドキドキしました。
一昨年、試合で頭蓋骨を骨折した後で、夫が同じことを言ったのです。
その時も猛烈に熱くなった記憶があります。
ドキドキしました。
一昨年、試合で頭蓋骨を骨折した後で、夫が同じことを言ったのです。
その時も猛烈に熱くなった記憶があります。
夫は他者との関わりを、あまり求めていません。
かなり希薄(に私には見える)な付き合い方で、人に対して強い感情を持ちません。
憎んだり、羨んだり、蔑んだり、好んだり、怒ったり、悲しんだり、ということがほとんどありません。
もちろん、他者に対して、ではなく自分自身の喜怒哀楽は普通にありますが。
夫は間違いなく私を愛していると思いますが、その愛の形は私とは少し違っているでしょう。
そんな夫を私は尊敬し、心から必要としています。
それは、夫が自分の価値を他者との相対から見出しているのではないからかもしれません。
かなり希薄(に私には見える)な付き合い方で、人に対して強い感情を持ちません。
憎んだり、羨んだり、蔑んだり、好んだり、怒ったり、悲しんだり、ということがほとんどありません。
もちろん、他者に対して、ではなく自分自身の喜怒哀楽は普通にありますが。
夫は間違いなく私を愛していると思いますが、その愛の形は私とは少し違っているでしょう。
そんな夫を私は尊敬し、心から必要としています。
それは、夫が自分の価値を他者との相対から見出しているのではないからかもしれません。
それが強烈に感じられるから、私の頭は熱くなるのでしょう。
わたりとりさんの記事を読んで、同じことを感じたのです。
人間には「人と関わりたい」「人に必要とされたい」という原始的な欲求があります。
それが時に「他者に認められる」ことに摩り替わってしまうことはとても多いでしょう。
私は他者に認められることを求めてしまう自分に気付いたとき
何故か、恥ずかしくてたまりませんでした。
それを完璧に隠し切れもしないのに「別にそんなこと求めてない、私は私よ」
という人に会うと怒りを感じるほどに。
わたりとりさんの記事を読んで、同じことを感じたのです。
人間には「人と関わりたい」「人に必要とされたい」という原始的な欲求があります。
それが時に「他者に認められる」ことに摩り替わってしまうことはとても多いでしょう。
私は他者に認められることを求めてしまう自分に気付いたとき
何故か、恥ずかしくてたまりませんでした。
それを完璧に隠し切れもしないのに「別にそんなこと求めてない、私は私よ」
という人に会うと怒りを感じるほどに。
人の価値は相対的なものとは別に、自分が自分であることに由来する
もっと強烈で、もっと原始的なものがある。
なのにそれを追い求める人は少ない。
みな、相対的な価値を追い求める。
みんなが認めるものを追い求める。
みんなが羨むものを追い求める。
私は理屈から相対的な価値を見出すのをやめた(いと思っている)だけであり
もともとそれを追う人間なわけではないのです。
もっと強烈で、もっと原始的なものがある。
なのにそれを追い求める人は少ない。
みな、相対的な価値を追い求める。
みんなが認めるものを追い求める。
みんなが羨むものを追い求める。
私は理屈から相対的な価値を見出すのをやめた(いと思っている)だけであり
もともとそれを追う人間なわけではないのです。
もともとそれを追い求める人間がいる。
そして知っていても、知らぬふりをして見ることを厭う人間もいる。
そして「追い求める何か」を持つがゆえに内的価値を追い求める人間がいる。
わたりとりさんが感じた、強烈な嫉妬、羨望、憧憬、これを内部から引き出し
自ら手にとり確認することが出来る人。
そういう人に出会ったときの熱いものは、一体どこから来るのでしょう。
これが私の羨望なのでしょうか。
そして知っていても、知らぬふりをして見ることを厭う人間もいる。
そして「追い求める何か」を持つがゆえに内的価値を追い求める人間がいる。
わたりとりさんが感じた、強烈な嫉妬、羨望、憧憬、これを内部から引き出し
自ら手にとり確認することが出来る人。
そういう人に出会ったときの熱いものは、一体どこから来るのでしょう。
これが私の羨望なのでしょうか。
少し前にタニさんが書いた記事に私は、それは嫉妬ではないかという主旨のコメントを書きました。
自分が追い求めるもの(必ずしもそのもではない)を体現する人に対する激しい嫉妬心。
これを感じ、これを自ら確認することにより更なる高みが見える。
それに気付いたとき「違う」と否定し、しまってしまう人は行き止まります。
そこから動けなくなり、がんじがらめになる。
自分が追い求めるもの(必ずしもそのもではない)を体現する人に対する激しい嫉妬心。
これを感じ、これを自ら確認することにより更なる高みが見える。
それに気付いたとき「違う」と否定し、しまってしまう人は行き止まります。
そこから動けなくなり、がんじがらめになる。
嫉妬や羨望を押し隠し、見ない人は未来も押し隠し、道を隠す。
わたりとりさんが、それをさらにこのブログという場に置いたことに私は衝撃を受けたのです。
ごく簡単なこと、と言う人もいるでしょうね。
それに気付き、他者とその点について話した後なら、それは割と簡単かもしれない。
自分の中だけで気付きと処理と昇華を行い、さらにはそれを人前に出す。
高みへとのぼろうとする、なかなか出会えない心の震えを見て私は熱くなったのです。
ごく簡単なこと、と言う人もいるでしょうね。
それに気付き、他者とその点について話した後なら、それは割と簡単かもしれない。
自分の中だけで気付きと処理と昇華を行い、さらにはそれを人前に出す。
高みへとのぼろうとする、なかなか出会えない心の震えを見て私は熱くなったのです。
ランス・アームストロングは私が出会った人間の中で最もそれが強烈だった。
ランスは尋常じゃないと私は思いますが、以前書いたように
私はその強烈な欲求に圧倒されます。そして強烈に惹かれる。
そして夫に出会った。そしてまたわたりとりさんに出会った。
ランスは尋常じゃないと私は思いますが、以前書いたように
私はその強烈な欲求に圧倒されます。そして強烈に惹かれる。
そして夫に出会った。そしてまたわたりとりさんに出会った。
私は人生で3人、強烈に内部の価値を追う瞬間を見せてもらった。
そして、そのうちの二人の崖を上るかのような心の動きを見せてもらった。
とても、すごい経験でした。
それを上手くここに表現できないのが、とても悔しい。
けれど、私は表現者ではない、今も良き質問者で、「何故?」を追い求めている。
だから、上手く書けないけれど、私はこのことをいつか必ず「知る」。
そのとき、内部にある価値を追う人がどこにいるのか。
そして私はそこへ訪ねていくことが出来るか。
そして、そのうちの二人の崖を上るかのような心の動きを見せてもらった。
とても、すごい経験でした。
それを上手くここに表現できないのが、とても悔しい。
けれど、私は表現者ではない、今も良き質問者で、「何故?」を追い求めている。
だから、上手く書けないけれど、私はこのことをいつか必ず「知る」。
そのとき、内部にある価値を追う人がどこにいるのか。
そして私はそこへ訪ねていくことが出来るか。
猛烈に楽しみです。ありがとう。
そういうことに出会わせてくれた全てに、心からの感謝を込めて。
そういうことに出会わせてくれた全てに、心からの感謝を込めて。
☆おまけ☆
この感情を書き記すことで持ち上げてるわけじゃないのです。
私が人を誉めている(または、ようにみえる)とき、それは全てただ一つのことを
形を変えて表現しているに過ぎないのです。
それは多分、じっくり見てもらうと理解してもらえると思うのですが。
私はそのただ一つに強烈に惹かれるので、その人の何もかもを誉めているように見えるかもしれません。
そしてそれは気持ち悪く見えるかもしれません。
しかしそれは誉めたりあがめたりしているのではなく、そして何もかもでもないのです。
ただ、一つのことに強烈に惹かれていることの表現に過ぎません。
この感情を書き記すことで持ち上げてるわけじゃないのです。
私が人を誉めている(または、ようにみえる)とき、それは全てただ一つのことを
形を変えて表現しているに過ぎないのです。
それは多分、じっくり見てもらうと理解してもらえると思うのですが。
私はそのただ一つに強烈に惹かれるので、その人の何もかもを誉めているように見えるかもしれません。
そしてそれは気持ち悪く見えるかもしれません。
しかしそれは誉めたりあがめたりしているのではなく、そして何もかもでもないのです。
ただ、一つのことに強烈に惹かれていることの表現に過ぎません。
わたりとりさんは「人格ではなく表現を評価して欲しい」と仰います。
これ、私には出来ないかもしれません。わからないのです。
もちろん、物語はそれが出来ます。
でも物語への評価と、思想への感じる心は全然違います。
物語のように評価することは私には出来ない。
人格を評価しているつもりはありませんが、そのただ一つのものは人格を作る中枢です。
評価などは出来ないけれど、そこに惹かれることを表現したい。
これ、私には出来ないかもしれません。わからないのです。
もちろん、物語はそれが出来ます。
でも物語への評価と、思想への感じる心は全然違います。
物語のように評価することは私には出来ない。
人格を評価しているつもりはありませんが、そのただ一つのものは人格を作る中枢です。
評価などは出来ないけれど、そこに惹かれることを表現したい。
しかしそれが気持ち悪い誉め言葉に聞こえてしまうことは、よくありそうです。
いや、もしかするとそれが、気持ち悪い誉め言葉なのかもしれません。
仕方ないな、それを好むんだもの。
とは言えど、コメントやトラックバックはそれをつけることによって
こんな気持ち悪いやつと付き合う○○さん、的評価を相手につけてしまうこともあるわけで。
その辺を考えると果てしなく面倒になり、最近は沈黙は金、も大切にしようと思っています。
何も私の気持ちを公に出さなくてもいいのだから。でもこの記事は別ー(笑)
いや、もしかするとそれが、気持ち悪い誉め言葉なのかもしれません。
仕方ないな、それを好むんだもの。
とは言えど、コメントやトラックバックはそれをつけることによって
こんな気持ち悪いやつと付き合う○○さん、的評価を相手につけてしまうこともあるわけで。
その辺を考えると果てしなく面倒になり、最近は沈黙は金、も大切にしようと思っています。
何も私の気持ちを公に出さなくてもいいのだから。でもこの記事は別ー(笑)
というのもあり、トラックバックはしませんでした。
で、ついでにここで一つ宣言します。
私、この先もうトラックバックはしません。どんな記事も。
読んで欲しい人には自分で頼みにいくことにします。
ああ、でも!私は人にその小さな心の動きを見せてもらい
それを伝えてもらうことに、大きな喜びをえています。
それが、私がブログをする理由。もう何故ブログに書くのかでは悩みません。
公の場で自分のために書き記す以上、なるべく不快なことはしないように気をつけて。
ブログをする理由、それにより私の中のブログ論、トラックバック論も終焉です。
で、ついでにここで一つ宣言します。
私、この先もうトラックバックはしません。どんな記事も。
読んで欲しい人には自分で頼みにいくことにします。
ああ、でも!私は人にその小さな心の動きを見せてもらい
それを伝えてもらうことに、大きな喜びをえています。
それが、私がブログをする理由。もう何故ブログに書くのかでは悩みません。
公の場で自分のために書き記す以上、なるべく不快なことはしないように気をつけて。
ブログをする理由、それにより私の中のブログ論、トラックバック論も終焉です。
「感じることに意味はない。考えろ」という格言がありますが…。
いいえ、感じた心を考えろ、です。
感じて考える、これが私の唯一興味のあることです。
いいえ、感じた心を考えろ、です。
感じて考える、これが私の唯一興味のあることです。
2006年2月15日(水)PM:0:33に上げた記事です。
トラックバックしない宣言記事です。絶対しないというつもりはないのですが、面倒になってしまいました。
交流の形は、それぞれのブログオーナー様の常連様の人数以上であり、その各々を大切にしているからこそ
そこから発生する評価もまた大切になるのではないかと思うと、なにもトラックバックの形をとることもないかと
思ってしまったような気がします。よくわからない。とにかく面倒になった感満載です。
ここで書いた自己の価値に関する部分でも触れましたが、相対的な価値とそうではない価値は
等価で存在するのが当たり前であり、だからこそ多種多様で魅力的なのだと思っています。
優劣をつけるものでもないし、○○だから○○的なステレオタイプの定義づけをすることによって
自分と違う考えを排除したり、否定することこそがその軸を見失うゆえんだと思っています。
ただ、私は夫のような人に惹かれる傾向にあるだけです。
夫は本当にすごいなぁと、日々思うのです。
「いいから早く片付けろ!」とか言い放ちつつ、私は夫をものすごく尊敬していて、夫のことが大好きなのです。