ちょっちぷんの言葉と誰かの言葉
言葉。言霊とかいう言葉もある。
言葉には魂が宿るという意味なのかな。
ま、それはどうでもいいのですが。
言葉は本当に難しい。
言葉が難しいというよりは、自分が感じたものを感じたまま、言葉にするのが難しいです。
わたりとりさまにいただいたコメントにある「言葉に想いをこめる」
これは、文学的には美しく、広がりを持っていて素敵です。
自分が感じたことを感じたままに伝えたい、と思う人。
自分が感じたことから何かを感じて欲しい人。
表現は変わるのでしょうね。
今の私は、「そのまま」というものに注目しています。
「世界は○○です!絶対そうです!そういうものです!」と言われたら
ああ、この人にとって世界とはそういうものなのだなぁ、と思います。
人が黒と言っても、私の目には白く見えるものもあるでしょう。
本当はそれが何色でもいいのです。
今自分に何色に見えているのか。
そして何故その色に見えているのか。
私はそれが知りたい。
だから、今は言葉に含みは持たせたくはないと思っています。
持たせているつもりはないのですが、結果的にそうとしか読めないこともあるかもしれません。
含みのある世界も好きで、そういう中で培ったものも根強いです。
しかも比喩をまったく使わずに文章を書くのがこれまた難しい。
比喩を使うと、受け取り方が多岐にわたります。
そうすることで「そのまま」は伝わりにくくなる。
それでも「好き」は「好き」で「ありがとう」が「好き」ではないのです。
しかし、難しいです。
前にも記事に書いたけれど、私の目に映る色が何色で、それが何故その色に見えるのか。
それを自分以外の誰かと共有することは出来ないように思います。
私の感情ですから、誰かの感情ではないですし。
となると推測や質問という形しか関わるのは難しいです。
またはその色は私にはこう見えます。
という「違い」の確認作業的な会話でおわってしまいそうです。
ならば何故私はブログ、というものに何かを書いているのでしょうか。
そのへんを今よく考えています。
それはこういう理由ですよ、と教えてくださる方もたまにいますが
前に書いたように、「転んだら痛いよ」と教えてもらっても
転んでみないとわからない大馬鹿者ですから、多分転んでみるでしょう。
でもそんな自分は結構気に入っています。
可愛いわ、私。と思います。
人が言ってくれないので自分で言います。
ちょっちぷん、か~わい~い!
※暑くて壊れているわけではありません。正気ですよ(笑)
2005年8月8日(月)PM:3:07に上げた記事です。
とても正気には見えないところがグーです。
「ありがとう」が「好き」ではないけれど、「ありがとう」に「好き」が含まれていることはあります。
心情的に、しかし「ありがとう」と書いた文字を届けたい相手が読んで
「ありがとう」しか届かなくてもそれはもちろんいいのです。
「ありがとう」が「ありがとう」ではなく、別の意味を持っていなければ。
「ありがとう」が「余計なことしやがってバーカ」でなければ。
ちょっちぷん、か~わい~い!
娘が生まれてからますます言ってもらえなくなったので改めて。ちなみに正気です。