9.11の夜、ニュースを見ながら
明日、世界は無いと…本気で思いました
3月11日の夜、停電の居間で、ラジオのニュースを聞きながら
明日、夜が明けたら…仙台はどうなっているのか
何を知らなければならなくなるのか…
きっと、どんなに時間が経っても
あの感覚は…在り在りと思い出すのだと思います
あの日から、何を想って、涙を流してきたか…
遠く離れた土地の人が、何を想って、涙を流してくれたのか…
東北の、たくさんの人、その一人一人の受けている苦しみ
自分たち自身の苦痛と、
自分たちの大切な人が受けている苦しみを想い、感じる苦しみ…
それを想像して、想像を絶する苦しみを想って、想いやって…
流した涙だったのだろうと思います
今もまた、手を合わせて目を押さえる方々を見て…
涙を流すことしかできません
朝、目が覚めて、悲しみに包まれた一日を過ごす…
その繰り返しの方々が、たくさんいます
自分の苦しみと、大切な人の苦しみを想って受ける苦しみに耐えながら、
それでも前に進もうとしてくれている人に、
時間の流れの中に、じっと身を置いてくれている人に、
動けなくても、一日を生きていてくれる人に…
自分は一体何ができるのか…考え続ける日々です
海を背に、田んぼが在って、住宅が在って、ビルの町並みが在って、その奥に山が在
る…
それが、仙台の風景でした
私の家から数キロと離れていない荒浜地区
海が在って、防潮林の松林が在って、
江戸時代に造られた運搬用の堀が海岸線に平行して流れていました
仙台平野は、大部分を田畑が占めていますが…
そこに、2メートルを超える津波が押し寄せました
こんなに平坦な広大な土地に、どうやって2メートルもの波が押し寄せたのか…
想像ができません
家々の、大小の欠片でできた大きな山は、これでも地震直後の100分の1の量になった
そう教えてくれた、地元の大学生ボランティアの男の子たちは、
震災直後から毎日のように畑や側溝や家屋の泥かきをしてくれています
それでも田畑だった土地の真ん中に、その山は二階建ての屋根よりも高く…
存在していました
震災直後は、道路脇に寄せられた数メートルの堆積物をよじ登って、敷地に入ったそ
うです
流されてきた何十台もの耕運機が、整然と並べられています
ほとんどの家が、土台から上全部を流されたので…
海岸の、疎らになった松林まで見通せるようになりました
堀は土砂で埋まり、流れはなくなってしまいました
子供たちの遊び場だった大きな公園も、高台を残して…
何もかもなくなってしまいました
地割れし粉々になったアスファルトは、その公園の駐車場でした
田んぼがなくなりました
田んぼだった地面に、倒れた松の大木や、浮きや、車が横転しています
それを覆い隠すように、雑草が一面に生えてしまいました
そんな景色の先に東部道路、その先にビルの町並み、山々…
悲しい、痛々しい光景です
滋賀出身の大学一年の女の子は、入学式が一ヶ月遅れたのだそうです
その子と、田んぼだった土地の間の道路を通りながら
「この雑草で覆われた土地は、休耕田じゃなかったんだよ」
と言うと、信じられないと驚いていました
「見せたかったな…、卒業するまで見れるかな…」
キレイな…田園風景だった、それが仙台の風景だと思っていた…だから…
「あんまりだと思う…こんなにすること、ないと思う」
そう、漏らしてしまいました
震災がなければ、当たり前過ぎて…何とも思わなかったかもしれません
でも、5月6月に東京に向かう新幹線から…
7月に日本海側を通って長野に向かう車の窓から…
青々とした田んぼの風景を見たとき、羨ましくて仕方ありませんでした
当たり前の風景は、無意識に、心を安心させてくれていました
荒浜の、痛々しい風景を見ながら…
この心の痛みが、荒浜の人の心の痛みであったら…と思いました
少しでも分かち合えたら…
独りよがりだと、分かっていても…
先月末、震災で延期されていたARABAKI ROCK FEST. が開催されました
チャボさんのライブで
「俺は新宿出身だけど、みんなのふるさとはどこだー!あるだろ?ふるさと、ど
こ?」
みんな口々に言いました
私は、足元を指して…「ここ」と言ってみました
そして、みんなで「ふるさと」を歌いました
忘れがたき ふるさと
想いいずる ふるさと
私たちのふるさとの風景は、変わってしまいました
でも、それを…取り戻そうとしてくれている、たくさんの人がいます
その人たちに、いつか報いなければならないと…私は思います
東北に関わってくれた人に、
東北を第二のふるさとのように思ってもらえるように…
人間は古来、本来…優しいものだと…思わずにはいられません
戦争や、原爆や、9.11に際して
「自分だけが何故」とは言わず、
「もう、同じ思いをしてほしくない」と言ってくれます
先日の台風は、深い傷痕を残しました
横転した車、ゴミの掛かった電線、分断した線路…
まるで半年前の光景を見るようでした
もう、そうなってほしくないと思ってきた光景でした
もうこれ以上、誰かに、ふるさとの風景を失ってほしくない…
今までも、人事と思いたくないと思ってきました
でも今は、もっと…、どんなに辛いだろうと…思うのです
誰かのためが、自分のためであるとき
きっと、気持ちも…悲しみも分かち合えると…信じたいです
三宅さん
いつも、どこかで…「生きよう」を、ありがとうございます
吉祥寺の、三宅さんの「ありがとう」に、東北からの「ありがとう」が乗っかって…
皆さんに届いてほしいです
「生きよう」を初めて聞いたとき、吉祥寺で歌ってくれた人の顔が、見えるような気
がしました
三宅さんと一緒に歌ったら、吉祥寺で…そして、全国で「生きよう」を…
一緒に「生きよう」と、歌ってくれる人と…
一緒に歌っているように…本当に、そう感じました
想いは届く、三宅さんの歌は想いを届けてくれると…
そう、感じました
三宅さんの歌を想えば、
何処にいたって、歌のチカラは受け取れる
何処にいたって、歌のチカラは届く
ライブは、ライブに行った人のものだと…思ってきたけど
心の持ちようかもしれないし、自由なのかもしれないけど
三宅さんの旅の先々の歌が、いつもチカラをくれる気がしています
先日、4月に三宅さんが仙台に来てくれたとき知り合った人と再会できました
その人の実家は石巻で、お店兼自宅は津波で流されました
自身も塩竈、多賀城で津波に襲われ、車を乗り捨て、孤立し夜を明かしました
そのとき同席した数人で、彼の経験を…固唾を飲んで聞きました
その人は、どうしても三宅さんの歌を聞きたかったから…と、バイクで石巻から来ま
した
「来れる状態ではないはずなんだけど、どういう訳か来れたんです」
と、そのとき言っていました
JUMP をみんなで歌って、その人を振り返ると…
チカラを得た、目をしているように見えて…ハイタッチして、彼に向かって
「ガンバレー!ガンバレー!!」
と言いました
ご家族も元気で、落ち着いてきた…と教えてくれました
そして、だんだんと…体験を話せる気持ちになってきたと、言いました
自宅は取り壊しが決まったけど、今はボランティアの人たちに使ってもらっている
全国のボランティアの人たちから、本当に元気をもらっている…
と言いました
そして私たちは、あの日…三宅さんの歌が、どれだけ自分たちにチカラをくれたか…
そして、今も、チカラをもらっていると…
話し合いました
私のメールに、返信していなかったことを謝られましたが
そんなこと、ぜんぜん気にしてなかったし(笑)
ただただ、元気でいてくれて嬉しかった…
返信できなかったことが、ずっと気になっていたんだけど…
『でもきっと、またここで会える気がしたんです』
と、その人が言いました
『きっと、清志郎さんと三宅さんの音楽が、繋いでくれると思ってたんです』
と
ああ、本当だ…
本当だったなぁ…!
三宅さん
今日も、「生きよう」を、ありがとうございます
私たちは、助け合いましょう
すぐにじゃなくても、大丈夫ですね
順番に、ですね
想いは、届くから
三宅さんが、届けてくれるから
三宅さんの宮崎に、元気が戻って
元気な宮崎を、ふるさとを取り戻すために
宮崎に応援してもらっている感謝に、いつか報いたいという気持ちを込めて
宮崎を、応援し続けます
台風が被害をもたらした近畿、日本海側
そして福島を、応援し続けます
福島の再生なくして日本の再生なし
福島を再生できなければ、国家とは呼べません
原発の一号機の外側に、覆いをかけるための枠が建てられたニュースは
新聞では小さな記事です
進めなければならないことは、たくさんあります
成果が目に見えるようになるには、まだまだ時間が掛かるかもしれません
気が遠くなります…
一人ひとりは…一体何ができるのでしょうか…
でも、一歩ずつ進まなければ、一歩も進まない
だから、小さくても…何か、その一歩を…
探したい、…そう想う日々です
明日、世界は無いと…本気で思いました
3月11日の夜、停電の居間で、ラジオのニュースを聞きながら
明日、夜が明けたら…仙台はどうなっているのか
何を知らなければならなくなるのか…
きっと、どんなに時間が経っても
あの感覚は…在り在りと思い出すのだと思います
あの日から、何を想って、涙を流してきたか…
遠く離れた土地の人が、何を想って、涙を流してくれたのか…
東北の、たくさんの人、その一人一人の受けている苦しみ
自分たち自身の苦痛と、
自分たちの大切な人が受けている苦しみを想い、感じる苦しみ…
それを想像して、想像を絶する苦しみを想って、想いやって…
流した涙だったのだろうと思います
今もまた、手を合わせて目を押さえる方々を見て…
涙を流すことしかできません
朝、目が覚めて、悲しみに包まれた一日を過ごす…
その繰り返しの方々が、たくさんいます
自分の苦しみと、大切な人の苦しみを想って受ける苦しみに耐えながら、
それでも前に進もうとしてくれている人に、
時間の流れの中に、じっと身を置いてくれている人に、
動けなくても、一日を生きていてくれる人に…
自分は一体何ができるのか…考え続ける日々です
海を背に、田んぼが在って、住宅が在って、ビルの町並みが在って、その奥に山が在
る…
それが、仙台の風景でした
私の家から数キロと離れていない荒浜地区
海が在って、防潮林の松林が在って、
江戸時代に造られた運搬用の堀が海岸線に平行して流れていました
仙台平野は、大部分を田畑が占めていますが…
そこに、2メートルを超える津波が押し寄せました
こんなに平坦な広大な土地に、どうやって2メートルもの波が押し寄せたのか…
想像ができません
家々の、大小の欠片でできた大きな山は、これでも地震直後の100分の1の量になった
そう教えてくれた、地元の大学生ボランティアの男の子たちは、
震災直後から毎日のように畑や側溝や家屋の泥かきをしてくれています
それでも田畑だった土地の真ん中に、その山は二階建ての屋根よりも高く…
存在していました
震災直後は、道路脇に寄せられた数メートルの堆積物をよじ登って、敷地に入ったそ
うです
流されてきた何十台もの耕運機が、整然と並べられています
ほとんどの家が、土台から上全部を流されたので…
海岸の、疎らになった松林まで見通せるようになりました
堀は土砂で埋まり、流れはなくなってしまいました
子供たちの遊び場だった大きな公園も、高台を残して…
何もかもなくなってしまいました
地割れし粉々になったアスファルトは、その公園の駐車場でした
田んぼがなくなりました
田んぼだった地面に、倒れた松の大木や、浮きや、車が横転しています
それを覆い隠すように、雑草が一面に生えてしまいました
そんな景色の先に東部道路、その先にビルの町並み、山々…
悲しい、痛々しい光景です
滋賀出身の大学一年の女の子は、入学式が一ヶ月遅れたのだそうです
その子と、田んぼだった土地の間の道路を通りながら
「この雑草で覆われた土地は、休耕田じゃなかったんだよ」
と言うと、信じられないと驚いていました
「見せたかったな…、卒業するまで見れるかな…」
キレイな…田園風景だった、それが仙台の風景だと思っていた…だから…
「あんまりだと思う…こんなにすること、ないと思う」
そう、漏らしてしまいました
震災がなければ、当たり前過ぎて…何とも思わなかったかもしれません
でも、5月6月に東京に向かう新幹線から…
7月に日本海側を通って長野に向かう車の窓から…
青々とした田んぼの風景を見たとき、羨ましくて仕方ありませんでした
当たり前の風景は、無意識に、心を安心させてくれていました
荒浜の、痛々しい風景を見ながら…
この心の痛みが、荒浜の人の心の痛みであったら…と思いました
少しでも分かち合えたら…
独りよがりだと、分かっていても…
先月末、震災で延期されていたARABAKI ROCK FEST. が開催されました
チャボさんのライブで
「俺は新宿出身だけど、みんなのふるさとはどこだー!あるだろ?ふるさと、ど
こ?」
みんな口々に言いました
私は、足元を指して…「ここ」と言ってみました
そして、みんなで「ふるさと」を歌いました
忘れがたき ふるさと
想いいずる ふるさと
私たちのふるさとの風景は、変わってしまいました
でも、それを…取り戻そうとしてくれている、たくさんの人がいます
その人たちに、いつか報いなければならないと…私は思います
東北に関わってくれた人に、
東北を第二のふるさとのように思ってもらえるように…
人間は古来、本来…優しいものだと…思わずにはいられません
戦争や、原爆や、9.11に際して
「自分だけが何故」とは言わず、
「もう、同じ思いをしてほしくない」と言ってくれます
先日の台風は、深い傷痕を残しました
横転した車、ゴミの掛かった電線、分断した線路…
まるで半年前の光景を見るようでした
もう、そうなってほしくないと思ってきた光景でした
もうこれ以上、誰かに、ふるさとの風景を失ってほしくない…
今までも、人事と思いたくないと思ってきました
でも今は、もっと…、どんなに辛いだろうと…思うのです
誰かのためが、自分のためであるとき
きっと、気持ちも…悲しみも分かち合えると…信じたいです
三宅さん
いつも、どこかで…「生きよう」を、ありがとうございます
吉祥寺の、三宅さんの「ありがとう」に、東北からの「ありがとう」が乗っかって…
皆さんに届いてほしいです
「生きよう」を初めて聞いたとき、吉祥寺で歌ってくれた人の顔が、見えるような気
がしました
三宅さんと一緒に歌ったら、吉祥寺で…そして、全国で「生きよう」を…
一緒に「生きよう」と、歌ってくれる人と…
一緒に歌っているように…本当に、そう感じました
想いは届く、三宅さんの歌は想いを届けてくれると…
そう、感じました
三宅さんの歌を想えば、
何処にいたって、歌のチカラは受け取れる
何処にいたって、歌のチカラは届く
ライブは、ライブに行った人のものだと…思ってきたけど
心の持ちようかもしれないし、自由なのかもしれないけど
三宅さんの旅の先々の歌が、いつもチカラをくれる気がしています
先日、4月に三宅さんが仙台に来てくれたとき知り合った人と再会できました
その人の実家は石巻で、お店兼自宅は津波で流されました
自身も塩竈、多賀城で津波に襲われ、車を乗り捨て、孤立し夜を明かしました
そのとき同席した数人で、彼の経験を…固唾を飲んで聞きました
その人は、どうしても三宅さんの歌を聞きたかったから…と、バイクで石巻から来ま
した
「来れる状態ではないはずなんだけど、どういう訳か来れたんです」
と、そのとき言っていました
JUMP をみんなで歌って、その人を振り返ると…
チカラを得た、目をしているように見えて…ハイタッチして、彼に向かって
「ガンバレー!ガンバレー!!」
と言いました
ご家族も元気で、落ち着いてきた…と教えてくれました
そして、だんだんと…体験を話せる気持ちになってきたと、言いました
自宅は取り壊しが決まったけど、今はボランティアの人たちに使ってもらっている
全国のボランティアの人たちから、本当に元気をもらっている…
と言いました
そして私たちは、あの日…三宅さんの歌が、どれだけ自分たちにチカラをくれたか…
そして、今も、チカラをもらっていると…
話し合いました
私のメールに、返信していなかったことを謝られましたが
そんなこと、ぜんぜん気にしてなかったし(笑)
ただただ、元気でいてくれて嬉しかった…
返信できなかったことが、ずっと気になっていたんだけど…
『でもきっと、またここで会える気がしたんです』
と、その人が言いました
『きっと、清志郎さんと三宅さんの音楽が、繋いでくれると思ってたんです』
と
ああ、本当だ…
本当だったなぁ…!
三宅さん
今日も、「生きよう」を、ありがとうございます
私たちは、助け合いましょう
すぐにじゃなくても、大丈夫ですね
順番に、ですね
想いは、届くから
三宅さんが、届けてくれるから
三宅さんの宮崎に、元気が戻って
元気な宮崎を、ふるさとを取り戻すために
宮崎に応援してもらっている感謝に、いつか報いたいという気持ちを込めて
宮崎を、応援し続けます
台風が被害をもたらした近畿、日本海側
そして福島を、応援し続けます
福島の再生なくして日本の再生なし
福島を再生できなければ、国家とは呼べません
原発の一号機の外側に、覆いをかけるための枠が建てられたニュースは
新聞では小さな記事です
進めなければならないことは、たくさんあります
成果が目に見えるようになるには、まだまだ時間が掛かるかもしれません
気が遠くなります…
一人ひとりは…一体何ができるのでしょうか…
でも、一歩ずつ進まなければ、一歩も進まない
だから、小さくても…何か、その一歩を…
探したい、…そう想う日々です