母が他界して1年5ヶ月が過ぎました。
もう何回目になるでしょう。
「お母さんに電話が通じないんだ。」という父からの電話。
よくよく話を聞いてみると、自分が施設に入居しているという状況はわかっていました。
そこが、自宅ではなく「施設」だということ。
でも、時をそう違えずして母も同じ施設の別フロアに入居したこと、時折は顔を合わせることもあった事は覚えていませんでした。
母を家において、自分だけ入居した。(実際、父が1ヶ月早く入居しています)
しばらく顔を見ていない。元気にしているのだろうか。
そう思い電話をしてみるが通じない。という捉えのようでした。
ゆっくりゆっくり、ひとつずつ、なぜ電話が繋がらないのか話しました。
母の葬儀に出ていることも、その後50日祭、一年祭に出ていることも、もちろん覚えてはいません。
でも、そういう事実があったこと、そしてそれを自分が忘れてしまっていることは、理解できたようです。
色々話しをして、最後に父は「一応話しは分かりました。また、忘れてしまって電話するかもしれないから、よろしくお願いします。」と、これもその度に言う言葉ですが、そう言って電話を切りました。
もう1つ、何度も電話を掛けてくる内容は、お金のことです。
何か壊れたり古くなったりして買い換えて届けて欲しいと施設から連絡を受けてそれを届けると、「これはお金をどうしたらいいんだ?」「俺が払うのか?」と。
「ちゃんと父さんのお金で、私が代わりに買いに行って届けたので心配いらないよ」と言っても、「お姉ちゃんの財布から出てないか?」「あんた達(妹も含めて)にお金の迷惑かかってないか?」と心配するのです。
施設の入居費用も私達が負担しているのではないか?と心配して度々聞いてきます。
「父さんの年金で賄えてるから、私も○○(妹)もお金は出してない。心配要らないよ」と言うと、それで安心して電話を切るのですが、母のこと同様、度々同じ電話が掛かってきます。
そんな父も、今年の10月で満90歳になります。
ようやく施設の面会や外出の条件が緩和され、外出後のPCR検査(自己都合外出の場合9000円でした)と3日間の居室隔離が無くなりました。
外出した日だけ居室ですごし、翌日からは通常通りということになりました。
認知症が進む一方の父が、3日も居室内だけで過ごすのは、色々な意味でリスクが高すぎるので、外出させることは控えていましたが、緩和されたので、早速卒寿のお祝いを計画しました。
来月、娘、孫、曾孫、家族全員集まってお祝いをする予定です。
次の日には忘れてしまったとしても、一時楽しい思いをしてもらえれば・・・