「R&B?ソウル?ファンク?(3)」 の続きです。

 

「R&B」「ソウル(Soul)」 と言ったら、やはり当時は 「ディスコ」 です。

 

はじめて行ったのは、確か新宿の歌舞伎町あたりだったと思いますが、青い七宝焼のペンダント・ヘッドの付いたキーホルダーが会員証になっていた 「ニューヨーク・ニューヨーク」

 

 

なんか懐かしい曲がてんこ盛りです♪

 

 

 

 

それを皮切りに、「ブラックシープ」 などにも行った記憶がありますが、「ブラックシープ」 では、「R&B 漬け」 になった記憶しかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 


それから拠点を六本木に場所を変え、通い始めですぐにお店が終わってしまったのが確か、六本木の 「キサナドゥ」。それから六本木のスクエアービルに入っていた 「スタジオワン」「ネペンタ」 あたりに移って行ったような気がします。

 

 

これもうろ覚えではありますが、「マイケル富岡」 のナンパは、当時から有名だったように記憶しています (苦笑)

ちなみにその頃はまだネットもツイッターもない頃。こういう話は風の噂で広まった時代の話です。

 

そして学生時代も最後の頃になると足も遠のいたりしましたが、久し振りに行ったのは確か 「With」 あたり。

女の子を連れ出して、まだ始発前に方角も分からぬまま歩いて辿り着いたのが、当時のソビエト大使館の脇にあった 「アルファイン(ALPHA-IN)」 www

 

 

もちろん当時は学生ですし、明け方前に入って、まさかあんなに高い宿泊料を払えるはずもなく。多分、電車の始発を待って渋谷あたりに出たような気がします (苦笑)

 

社会人になってからは、もっぱら 「新山下」 にあった 「横浜ベイサイドクラブ」 にお邪魔しておりました。

生バンドの奏でる音は新鮮で、質の高い食事と飲み物は、別格だったのを今でも記憶しています。当時既に 「MAHARAJA」 が関内にまで進出していたように記憶していますが、「横浜ベイサイドクラブ」 を知ってしまうと、とても行く気にはなれません。

 

 

 

はっきり言って 「MAHARAJA」 の 「お立ち台」 でのパンチラ目当てに行くだなんて、あまりにも情けなさ過ぎですし(苦笑)

 

 

その後、ワンレンボディコン女性が 「ジュリアナ」 で 「ジュリ扇」 持って踊る姿は、今思えばそれこそ 「バブル絶頂期」 だったのかも知れませんが、テレビで 「荒木師匠」 が躍ってるやつしか見たことありません (笑)

 

 

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そんなディスコ全盛時代の記憶に残るグループのひとつが 「シャラマー(Shalamar)」

 

邦題: 涙のリメンバー(A Night To Remember) - 1982

 

 

踊りも 「キレッキレ」 ですが ・・・

 

このグループのリーダーである 「ジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)」 のパントマイム。そしてパントマイムから派生した当時 「ロボットダンス」 と呼ばれていた踊りの切れ味が最高なのですが、その後、彼のマイケル・ジャクソンもスリラーのPV撮影にあたっては彼の師事を受けることに。

 

 

このビデオでも、マイケル以上にキレッキレの 「ムーンウォーク」 を披露していますが、当時は 「ムーンウォーク」 ではなくまだ 「バックスライド(Back Slide)」 と呼ばれていたそう。

 

Make That Move - 1981

 

 

邦題:セカンド・タイム・アラウンド(The Second Time Around) - 1980

 

 

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ロボットダンスは、「R&B」 の枠を超え、世界中に広がりを見せます。これはイギリスのデュオ 「フリーズ」 のPVのシーン 

 

FREEEZ — I.O.U. (1983)

 

 

しかし、この 「ロボットダンス」 そのものは、「R&B」 の世界では、かなり以前からあったものだそうで、「マイケル・ジャクソン」 自身も 「ジャクソン5」 時代に披露していますし、

 

 

「ゲロッパ」 で有名な 「ジェームズ・ブラウン」 もダンスの指導映像などに 「ロボットダンス」 を残しています。

 

 

ちなみに当時 「R&B」 と言うよりは 「ソウル」 として聞かされ続けるのは、主にこういった系の曲。

 

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では、最近は どうなのでしょう?!

 

 

 

 

 

 

時代はどんどん移り変わっていきます。が、しかし ・・・

凄い の一言です♪