「努めよ常に (1)」 の記事の続きです…

 

「女のマタに力と書いて努」の話。

今回は、前回の学校編と社会編に続き、自分が愛奴に説明している会話「(愛奴との)オトナ編」のご紹介です。

 

ドーーーーン !!

 

 

3.女のに力と書いて努 - (愛奴との)オトナの会話編

 

自分は自分の愛奴たちに、

 

   「家では、妻や母そして嫁として踏ん張りなさい・・・」 

 

と言っています。 しかし、一生懸命踏ん張って、でも、それ以上もう、どうしようもなくなったら、

 

   (主である)自分の(目の)前で、思いっきり壊れなさい・・・」

 

と言っています。

 

日常生活で、「踏ん張り」 は大事ですが、それで、いっぱいいっぱいになってしまったら、どうしましょう?

 

奴隷の場合、ガス抜きは、主の前で行うのが基本になります。

では、主がいない人の場合や、主がいない場合は、どうしたら良いのでしょうか?

その場合、自分で少し壊して、ガス抜きをする以外にはありません。

但し、日常生活の中で、壊れて(脆くも壊れ落ちて)しまっては駄目。そうならないように、あくまでも、人の見ていないところで、こっそりとガスを抜くしかありません。

 

(1) ガス抜きの基本は二人

 

ガス抜きは、あくまでも、① 信頼できる人の立会いのもと、② 問題の起こらない場所で、③ 問題が起こらない状態で、が基本です。

SMの場合、そのような空間と時間を、主が愛奴のために用意しているのに、他なりません。


SMでの羞恥プレイには、例えば、野外露出などの屋外プレイがあります。ノーパンプレイも、初心者向けの羞恥プレイのひとつです。

こういったプレイでは、主の役割として、愛奴を責めること以上に大事なことがあります。

それは、愛奴をトラブルから守るということです。どんな手段を使ってでも、守り抜く気概が求められるのです。

何故なら、最悪の場合、桜田門が登場する可能性も排除出来ないためです。

他人を参加させる場合なども、同じです。

 

愛奴は、(主が用意した)非日常的なシチュエーションの中、(主を信頼し、守りを全て主に)委ねることで安心しながらも、自分は非日常的なプレイに集中し、そして、自分の心の不安や恐怖と戦いながら、エロティシズムと性的な興奮と刺激にまみれ、最後の最後に、自分が壊れるまで、そのプレイを楽しむわけです。

 

信頼を寄せることの出来る、主がいるからこそ、そこまでプレイに集中できるわけですし、ある意味、何かあったら、主が私を助けてくれるという信念のもと、不安や恐怖心と戦いながらも、プレイに自分を委ねることが出来るわけです。

 

SMにおいては、かなり以前に、Sは先生のS、Mは・・・みたいな記事を書いたことがありますが、まさしくその通りなのです。

自分では、ウンコを出せない患者に対して、ウンコを掻き出し、踏ん張らせてウンコを出させる行為が、自分では、泣けない患者を泣かす行為が、イケない患者をイカす行為が、まさしく、これらの全てが、SMなのです。

 

だから、どうしても、もう一人が、必要なのです。

M女には、自分の苦しい状況を熟知しており、そして、治療出来る能力があり、自分が信頼を寄せることが出来る主が必要なのです。

 

では、主がいない人の場合は、どうしたら良いのでしょう?

相手(パートナー)がいないわけですから、お金を払ってでも、相手を探してくるか、あるいは、当然、一人でするしかありません。

 

(2) 一人でガス抜きをする場合

 

一人でする場合は、当然、主が担っていた役割を、自分が果たす必要が出て来るのです。

主の代わりに、自分自身が注意を払って、問題の起こらない場所で、問題が起こらない範囲でするしかないわけです。

これは、簡単なように思うかも知れませんが、自分で自分を手術するようなもので、なかなか難しいのです。

自分が主の役割も果たさなければいけないとなると、まず、気が散って集中できなくなりますし、頭が真っ白になって、そのときの周囲の状況が何も見えないみたいな状態には、怖くてなれないのです。

 

なので、行動自体は、似たことが出来るかも知れませんが、心理的な状況は、二人の場合と一人の場合では、全く違うのです。

期待できるのは、そのような類似行為をすることにより、そのときの状況を鮮明に思い出すことと、自分がそういう行為をしたという事実から、自分は大丈夫なんだと思い込む、一種のプラシーボ効果ぐらいなのです。

 

しかし、本人にしてみれば、ないのとあるのでは、やはり違いはあるのでしょう。

 

一人で出来ることと言えば、まずは、自分が壊れないように踏ん張ること。出来れば、「いつ迄」 みたいにゴールが見えていた方が、挫けないで済みそうです。(苦笑)

壊れそうになったら、踏ん張りつつも、そこから自分の関心を逸らすことも重要です。

しかし、どうしても壊れそうになったら、自分でガス抜きをする以外、ありません。

 

その場合は、今まで主がしているように、壊れても安全な状態を自分で作り出して、勢いで破裂しないように、ゆっくりと・・・、様子を確認しながら・・・、する以外にありません。

 

言いたいこと。それは主が目の前に居ないときは、奴隷であってもなくても、踏ん張る以外ないということなのです。

 

(つづく)