新年あけましておめでとうございます。
今年 2025年が皆さまにとって良い年になりますように。
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前回の記事「梅ジャムの話」からのつづき。
前回の記事の中で「梅の花本舗」の高林社長の記事 「梅ジャム一筋66年!家族を支えて来た『命』です」をご紹介しました。
この記事の中で、この社長が16歳のときに「梅ジャム」を試作する様子が述べられています:
梅肉に水を加えて、小麦粉や甘味料を混ぜ、電気コンロで煮詰める。初めての経験でもあり、レシピを調整して何度も繰り返した。当時の砂糖は高級品だったので、甘味料はズルチンとサッカリンの併用。煮詰めたらしょうゆの木樽に入れ、1晩かき回し、2~3日置いて冷ました。こうして完成したのが「梅ジャム」である。昭和22年の秋、高林氏は16歳だった。
電気コンロで試作できるわけですから、十分お家でも作れるわけです(笑)
原材料を用意して
早速作ってみたのがコレ。
1回目の試作
梅肉は、梅干しの果肉を包丁で叩いても良いのですが、これは市販のチューブ入りで売られている梅肉(ペースト状)のものを使用。
梅肉を水(お湯)で解いても、梅干しそのものの味です。そう言えば最近「お茶漬け」食べてないなー(苦笑)
梅肉はペースト状ですが、それでもまだ果肉の分離が見てわかります。
鉢に当てても良いのですが(鉢を当てる=すり鉢で摺る)、そこまで見栄えを気にするかは微妙なので保留。
初回の試作で、大まかな原材料の分量を確認しておき、いざ2回目の試作に取り掛かります。
2回目の試作では、食紅を使用。するとこんな感じに。
2回目の試作
元祖梅ジャムは、こんな感じ。
さっそく「花丸せんべい」を買ってきます。
ロピアには置いてありませんでしたが、マルエツにはありました(笑)
さっそく実食!
味はもう「梅ジャム」そのもの。
梅肉が梅の香り?風味?を漂わせますが、残る部分は酸味と塩味と甘味のトライアングルこそが命。
一度、舌が「梅」と認識すると、もう「梅ジャム」以外の何ものでもありません(笑)
業務用で発売する?
これから紙芝居屋さんはじめる事業者向けに、令和の「梅ジャム」として販売しようかとも思ったのですが
そもそもそんなに需要があるのでしょうか(梅の花本舗のおっちゃんに失礼か)
梅の花本舗の「梅ジャム」を真似て作った商品もあるくらいなので、もしかしたらイケるのかも知れませんが、どちらも製造から卸、小売りまでの商流が確立しています。
そして小売りしようとすると大変なのが、このおっちゃんも封入機を導入したように袋詰めから箱詰めです。
それなりに「梅の花本舗」の味は再現したつもりではありますが、さすがにそこまで投資して、やるつもりはありませんので、
売るとしても、これから紙芝居をやろうとする個人事業者向けかな?と思ったのですが。
もし本気が検討されている方がいたら、業務用の販売を検討しますので、メールでご相談ください。
それから考えたいと思います(笑)
自転車に紙芝居の箱をのせて、老人福祉施設などで、昭和のノスタルジーを披露されている方も居られるようです。
今の時代であれば「老人福祉施設」か、あとは「保育施設」ぐらいですよね。
公園は、下手をすると子どもが一人もいなかったりします。
「梅ジャム」や「オレンジジャム」、「ソース」が塗られた「ミルクせんべい」はもちろんのこと、「水飴」を食べた経験のある子どもも少ないかも知れませんし、
今どき、それぐらいの駄菓子販売では生計も立ちません。
老人福祉施設などに「イベント」として呼ばれて行って、そこでそれなりの報酬を得た上で、余興として昔のように5円とか10円で駄菓子を売るようなイメージになるのでしょうか。
左は「梅の花本舗」の業務用の「梅ジャム」。300g入りだそうです。
自転車の紙芝居の記憶
数少ない自分の中での「自転車での紙芝居」の記憶を書いてみましたが、
同じように「自転車の紙芝居」や「梅ジャム」・「花丸せんべい」で思い出のある人がいたら、コメント欄に残して行って下さい(笑)
ソースは刷毛のようなもので塗っていたように記憶しているのですが、梅ジャムやオレンジジャムは何を使って塗っていたのか覚えてません。
あと1枚2枚でなく、5枚とか10枚とか花丸せんべいを買う子もいましたね。
水飴は、折った割り箸に水飴を巻き付けて、花丸せんべいを一枚「ペトッ」と水飴にくっつけてたかなあ?
この辺は紙芝居共通の「マニュアル」があるわけではありませんので、紙芝居のおっちゃん次第なんだとは思いますが、いろいろと知ってる人たちのお話を聞きたいところ。
あとは、やっぱり紙芝居を見たことのある人たちの住んでた場所ですかねぇ。
自分は東京の上板橋で見たのかなあ?
「自転車での紙芝居」は、戦後の復興で出て来たビジネスのようですが、多分、自分が接したのは昭和40年代(1970年代)。
自転車での紙芝居など、全く見掛けない地域もありましたし、たまに見かける地域でも、公園や日時は限定されていました。
自転車で紙芝居のおっちゃんが来ると、たくさんの子供たちが集まったのは多分、その近所の子供たちで、紙芝居のおっちゃんのスケジュールを把握していたのでしょう。駄菓子を買えず外野で見物するだけの子どもも含めて、子どもは20人くらいは居たでしょうか。
お小遣いのお金を持っていかないと「水飴」や「梅ジャム」などのミルクせんべいは買えませんので(しかし駄菓子を食べてる子を羨ましく思う反面、タダで紙芝居を見れた分、得した気持ちになっていました。今のネトゲの無課金者と同じ感覚w)
それ以降は、もっぱら「ラムネ」を飲んだり「梅ジャム」を食べるのは、近所にあった駄菓子屋さんだったと思います。