3月だというのにまた寒い日々が続きますね。 

今週の頭は雪も降りました。  来週くらいからまた少し暖かくなるようですが

そのまま春となってくれるといいのですが。

我が家は娘が昨年高校を卒業し大学に入学、1年目は寮生活が必須なので

去年の今頃は娘の卒業、引っ越し、それに自分の退職も重なり結構大変な

日々でした。  その当時は僕の癌が見つかってから半年、食事療法と抗癌剤の

併用で改善傾向にあったものの、3月に風邪のためか高熱を出しそれに負けるように

抗癌剤の副作用と思われる口内炎が出始め体調を崩しました。

おそらくそうやって体力、免疫力を落としたためでしょう。 昨年2月には一度消失した

肝臓の腫瘍が昨年4月の検査で少しですが再発してしまいました。

思えば癌を治すのはやはり自分の体の免疫力だという事を身をもって痛感させられた

一年前でした。

当時は改善傾向が続いていたとはいえ胃の腫瘍はまだ頑張っていたし本当に手術も

できずに完治できるものなのだろうか、いつか癌がまた大きくなって余命宣告が現実の

ものになりはしないか、という根強い不安もありました。

 

今年はその娘も大学2年生になろうとしていて寮を出てアパートで1人暮らしを始めました。

 

2月は毎週末娘のところへ行き家財道具の買いものやら搬入やら組み立てやらなんだ

かんだと忙しくしましたがそれも終わりました。

そして今日は息子の中学の卒業式でした。

 

息子は今日で中学生活も終わりです。 

 

思春期の真っ最中であまり親とは口数も多くありません。

昨年進路の事で色々と相談している時に、自分は高校に行かずマンガの世界に進む、

プロになると言い始めビックリしました。

でも好きな道に行くのが一番だろう、と色々とありましたが結局アニメの学校に通い

通信制高校のサポート校で高校の勉強をする事にしました。

多感な年頃で1昨年僕が癌の闘病を開始し家で食事療法をしながら時々病院へ

抗癌剤治療に通い続ける姿はどう彼の目に映っていたのか、、、

病状の節目では娘、息子にも簡単な報告はしてはきたけれど、二人は父親が

仕事もできず闘病しているので自分達の進路に関して口にすることは滅多に

無かったけれど金銭的な心配もかなりしてきた様子ではあります。

進行の進んだ癌で手術もできない、とは伝えたけれど余命宣告の事は子供達には

伝えてこなかった、 でも子供達は色々と情報を得てとても心配していた様子。

昨年末に病状の好転を伝えてもう少し頑張る、と息子に伝えた時、彼は

”癌て治らないんでしょ” ってポツンと言いました。

その言葉の更に裏にある気持ちまで垣間見えてしまったような気がして言葉を継ぐのが

難しかった、と覚えています。

アニメの勉強にはお金もかかる、彼のその心配を振り切りその道に進路を決めました。

今日の彼の卒業式はそんな背景もあり胸が詰まる思いを味わいました

 

1昨年主治医に宣告された平均余命は13カ月、 それは昨年の10月の事でしたから

 

今はその余命宣告を乗り越え、しかも完治が視野に入るくらいに病状は好転し体調も

とてもよいです。

今までの1年半は強いて一言で言うなら“生きるために生きてきた”、そんな長い時間でした。

子供達の成長過程の重要なマイルストーンに立ちあいそのサポートができること、

それも生きていればこその事です。

そんな単純な事が心を駆け巡り目頭が熱くなるのを止める事ができませんでした。

 

今日はセントレジャー市原GCでのハンディ杯の開催日、一度はそちらに行こうかなどと

 

思っていた自分の事を少しばかり恥じた一日でもありました。

 

 

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