山奥に咲く花は何のために咲いているか、という疑問を友人のブログで読んだ。その花は言ってみれば、海も見たことのない山中の田舎に住んでいるかわいい女の子のようなものかも知れない。お洒落をさせてあげたい、美味しいものも食べさせてあげたい、海も見せてあげたい、と都会の人は思うだろう。なんでまたそんな何にも無い山の中に…と。


でも、「何にもない山の中」とは外から見た意見で、そこに生まれ育った人にとってはお洒落なレストランや海は無くとも他のもので溢れた世界があるに違いない。山や川の自然の中にも、また小さな田舎町の中にもちゃんと大きな世界は広がっているはず。だから、かわいそうと思うのは外の感傷であって、本人はいたって満足している場合が多い。中には外の世界を知ったことでそれらが無性に欲しくなり実際に田舎を出て行く場合もあるが、出て行きたいのに行けない人は不幸かも知れない。それ以外の「出て行きたいと思わない人たち」にとっては「かわいそう」という思いは「余計なお世話」かもしれない。


そうそう、それに、「田舎の人をかわいそうと思った都会の人」も、西洋のある国から見たら「あんな小さな島国に住んでいてかわいそう。こっちの世界を見せてあげたい。」と思われているのかも知れないのです。


結局、どこでどんな一生を送ろうと、自分が満足して生きた人は幸せで、そうでない人は不幸だと、私は思う。