先日、思いました。
元気で動けて話せるうちになんでもしておこう、と。
特別な時に使おう、としまってあるお高い食器。
いいことがあったら飲もうと奮発して買ったワイン。
よそゆきの靴、しまってある服。
だけどその出番を待っている間にどんどん時間は過ぎていく。
だから本当に好きなら使って身に付けた方がお得だよ。
「ああ、あのカップを何回使っただろう」と思うより「あのカップで飲んだコーヒーは本当においしかった」と思う方がいい。
そのうち会おうね、と毎年やり取りしている年賀状。
信じている「明日」や「そのうち」は来なくなる日が来る。
「その日」は誰の所にも訪れる。
生きているうちに会って、話そう。
離れた場所ならメールでも電話もかまわない。
「今度ごはん食べに行こうよ」じゃなくて「いつごはん食べに行く?」って約束しよう。
「いつか行ってみたいと思っている場所」も「生で聞いてみたい」と思った歌手の歌声も「一度行ってみたいと思っていた話題のレストラン」も、思いついたら、本当に行きたいと思うなら、スケジュール帳に書きこもう。
会いたい人に会えたなら、いっぱい話して「ああ、今日は会えて本当によかった」「楽しかった」と笑って手を振ろう。
その日のことを思い出しただけで幸せな気持ちになれるような時間を過ごそう。
物も体も、使えるうちに使おう。
そんなふうに毎日思って生きていくのは結構大変で心がしんどくなっちゃうから、感じなくなったら忘れたりすることも時には必要だったりもするけど、それでも時々は自分に言い聞かせようと思う。
いつか、なんて来ないかもしれない。
いつか、買おう。
いつか、使おう。
いつか、やろう。
そう思い続けて何年たつのか、そう思い続けることに意味があるのか。
すごいことをしようとか、心を入れ替えようなんてたいそうなことじゃなくて。
最後に目を閉じる時に「ああ、しまった!こんなことなら・・・」って思うことが100個あったらやだなってことで今のうちにそれ少しでも減らしとこうかなって、先日おじさんが亡くなって思いました。
病気になったと聞いてからあっという間でした。
わたしの中でおじさんはギターを弾いたり絵を描いたりしていた昔の時のままで、病気のおじさんに会って何を言えばいいのかわからなくておじさんもきっと病気の自分をわたしに見られたくないんじゃないかな、と思ったりしました。
そうなる前にもっと話せばよかった。
これから近しい人が亡くなるたびに思い知らされるだろう。
だから時々、自分に言い聞かせようと思う。
いつか、なんて来ないかもしれない、と。