らーめん職人のプライドと云うもの....は | 京都伏見 ぶちかまし超・次郎らーめん

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コミックに出てくるような劇画風、エンターテイメント系らーめん屋を目指すハジケタ馬鹿な親爺が書いているブログ。56の歳になるまで飲食関係の仕事など全く無し!....なのに飲食をはじめる大バカ者の日記です。他人の不幸は面白いぞ!潰れるのが楽しみなら読むべし!

毎度おおきに! 京都伏見 ぶちかまし超次郎らーめん でございます。

今回は、述懐と云いますか、大きな反省点であり詫びをしなければならない事を投稿したいとおもいます。相手の方からすると「オイ、こらオッサン、人を馬鹿にしとったらいかんぞ!」と云われそうなお話なんですが......

再起を掛ける6月1日、改めて「らーめんの味とらーめん職人」と云うようなテーマで投稿してみたいと存じます。

初代店長さんは、らーめん店のコンセプトが全て決まってしまってから「店長候補」の募集を行い、採用(期間契約)させていただきました。

つまり、味を作る人材が、後回しとなってしまった訳であります。

飲食業会では、間々よくある事のようですが.......オーナーと店長が同一人物なら、絶対にこんな事にはならないんですが......。

ここで、問題になりますのが「らーめん職人魂」というものです。
「本来、私の作りたいらーめん」と「作らされるらーめん」との乖離が生まれててしまうわけですね。

長いキャリアのあるらーめん職人さん、あるいは自営経験をお持ちのらーめん職人さんであればあるほど、この「魂の乖離」が大きくなってしまうように感じるのです。

この「魂の乖離」は、らーめんの味へも微妙な影響を与えるモノでは無いだろうかと考え始めています。やはり、らーめん職人としては「私の作りたいらーめん」を「お客様へ食べていただきたい」と考えるのが、至極当たり前の話しであります。

5月1日開店においても「魂の乖離」があったと.....思い返しています。
つまり、店長が「作りたいらーめん」とは大きく乖離していたという事であります。

しかし、再起を掛ける6月1日に関しては、「魂の乖離」はかなり埋められ、
「超次郎らーめんの味」が「作りたいらーめん=食べて欲しいらーめん」に近づいたと感じています。

最初からそうしたスタートができれば良かったのにと、つくづく感じております。

それでは、本日はこの辺で、失礼致します。