時を鳴らす人と時を刻む人 | 京都伏見 ぶちかまし超・次郎らーめん

京都伏見 ぶちかまし超・次郎らーめん

コミックに出てくるような劇画風、エンターテイメント系らーめん屋を目指すハジケタ馬鹿な親爺が書いているブログ。56の歳になるまで飲食関係の仕事など全く無し!....なのに飲食をはじめる大バカ者の日記です。他人の不幸は面白いぞ!潰れるのが楽しみなら読むべし!

毎度おおきに! 京都伏見 ぶちかまし超次郎らーめん でオマす。

今回は「人間の行動や行動の特性」とか「人の役割」見たいなお話をしてみたい存じます。

店長との出会いから約1ヶ月が経ちます。日増しに、店長と私との違いが鮮明になって来ております。その事を、分かり易く言いますと、職人さんと企画屋との違いとでもいいましょうか......。

昔~し読んだ”ビジョナリー・カンパニー”と云う本の中に「時を鳴らす人と時を刻む人」と云うような表現があった様な記憶があります(不確か????)

店長と私は、正に「時を鳴らす人」と「時を刻む人」の関係の様でございます。

わたしは「絵に描いた餅」のような事を思いついては口にする......それを店長は、試行錯誤を繰り返し、毎日毎日、こつこつと「絵に描いた餅」を「現実の餅」へと形にして行ってくれています。

どちらが偉いとか、役割として重要かと云う事ではないのですが.......
お客様視点でその関係を見ますと「時を刻む人」の存在の方が大きくなってまいります。それは、日が経過すればする程に、大きさ、重さを増してゆきます。

私は今、超次郎らーめんの開店から現在までを振返ってみて...........私の役目として
「時の鳴らし方を間違っていたなあ」
とつくづく感じております。

そして.........迎える6月1日 
「今度は、正しい時の鐘を打てるようにしよう!」
と考えている次第です。

またまた、抽象的なお話でございまして
「こらオッサン、らーめんの話しはどこいったんじゃあ」
と読者から叱られそうなので........今回はここまでとします。

それでは、さようなら、さようなら