たばことお金をめぐる問題は止むことが無かった。
祖母も周囲の人間も、我慢や疲れがピークだった。
そんな時、ある出来事が起きた。

あの日は雨だった。
父は仕事の関係で祖母の家の近所にある海の近くのビルへ車で向かっていた。もうすぐ着くというところで、父は何気なく海の方を見たという。
するとそこには、傘もささずにずぶ濡れの祖母が、海から少し上の岬に佇み、じっと海を見ていたという。
父は慌てて車を飛び出し、祖母をそこからおろして保護したらしい。
私はその日、初めてあんなにも落ち込んでいる父を見た。
祖母がそんなことをした理由はわからないが、このまま祖母が一人の時間を増やすのは危険だということは確かだった。

この頃から祖母は怒りっぽくなった。
どんなに怒っても私にだけは優しかった祖母が、私にまでイライラするようになった。認知症と診断されてから処方されていた薬もスムーズに飲まなくなっていた。
ある日、祖母はその薬をイライラして床にばらまいた。それを見た父は怒って、祖母の耳を強く引っ張り激しく怒鳴った。父は気が短いため、私や母が何を言っても怒鳴るのをやめなかった。
祖母は泣いていた。
父はその日からずっと、あの日のことを悔やんでいる。

これらのことをきっかけに、祖母が入院することが決まった。
入院先は精神病棟だった。

iPhoneからの投稿

その後もたばこを奪い、奪われが続いたのだが、この頃から祖母は決まってあることを繰り返し言った。

「私のお金とったでしょ。」

私の父は五人兄妹だ。父が長男、私の父と絶交状態の二男と三男、私の父と同じ職場の四男、そして長女の叔母である。
祖母は、長女である叔母と二人で暮らしていた。叔母は二男と水産業を営んでいるため、朝早くから夜遅くまで働きづめだった。そのため、祖母は家に一人でいる時間がとても長かった。一応犬がいるので、たまに犬の散歩に行き、後はずっとTVを観ながらたばこを吸っていた。もともと料理や家事全般を進んでやる方ではなかったらしく、そんな生活が'認知症'へと結びついたのではないかと今になって思う。

そんな生活の中で祖母が発したその言葉は、絶えず叔母に向けられた。もちろん叔母は、祖母のお金を盗んでなどいない。
少しずつ忘れっぽくなった祖母が、叔母がいない間に訪問してきた電気屋で、勧められるものをなんでも買い出したのをきっかけに、叔母が祖母の通帳や現金を管理していたのだ。
祖母にも説明したが、もちろん覚えてなどいないため、娘に盗まれたと勘違いしていたのだ。

たまに祖母の家に行くと、祖母は
「ゆりこ(叔母・仮名)がばあちゃんのお金もたばこも、大事なもん全部持ってくんだ。」
と声を荒げて私に説明した。
それを聞いて私、私の父、母、叔母などみんなでそれは違うということを必死に説明する。その連続だった。
"認知症は年をとればなるもんだ"というように軽く考えていた父は、説明の度に祖母を怒鳴りつけた。

映画制作に携わることが夢の私は、一度だけ何かのドキュメンタリー風にその光景を録画したことがあった。
そして最近になってその映像を父に観せる機会があった。
父はその映像を観て
悲しそうに、無理をして笑った。


iPhoneからの投稿

祖母のたばこへの執着は、日を追うごとに増していった。「だめ」と言われると余計にやりたくなってしまう、それが人間の性である。
この頃祖母は、たばこの吸い過ぎでポリープができ入院をし、退院後もたばこをやめるようにと医師にかたく言われたところであった。

"祖母のために"

私たちは祖母からたばこを奪うことにした。ポリープで入院する前から、祖母はライターがある場所を忘れ、直接ガスコンロで火をつけようとするなどと危険な行動も目立ってきたため、医師の言葉をきっかけに、私たちはたばこをやめさせることにしたのだ。
(今となっては少し後悔しているのだが..。)

それからは毎日が闘いだった。
たばこを様々な所に隠す祖母。
それを必死に探し、奪い、「無い」と嘘をつく私たち。

あの時、祖母は何を考えていたのだろう。五人の子供を女で一人で育て、子供が自立しやっと一人の時間が出来たと思えば、自らの趣味を奪われる。
とても辛かったのではないだろうか。
とても不思議だったのではないだろうか。

もう一度あの頃に戻ることができたなら、私たちは同じことをできるだろうか。
私はできない。



iPhoneからの投稿

2011年春だった。
私はちょうど高校を卒業し、実家から遥か遠い大学へ通うと決まった。
祖母はこの頃、76歳という高齢のため一度身体検査をするべきだという周りの意見から、たくさんの検査の連続の日々であった。そのとき、アルツハイマー型認知だという診断を受けた。

「ばあちゃん、私九州の大学に行くことになったよ。北海道からはかなり遠いけど、今度来てね。」

「さみしくなるねぇ。」

五分後に祖母の息子となる私の父が、
「あっちゃん(仮名)どこの大学行くの?」
と聞くと、
「名古屋でしょう?」
と祖母は答えるのだった。
何故名古屋と言ったのかというと、祖母の故郷が名古屋で、祖母にとって名古屋は思い入れの深い場所だからである。
この頃から祖母は少しずつ色々な事を忘れていった。アルツハイマー型認知症の特徴は、最近のことは忘れ昔のことは覚えているという点である。五分前に誰と会ったかは忘れ、五十年前にどのような人とどこで働いていたかは覚えているのだ。

このように様々な事を忘れていく中で、祖母が唯一執着していたものがある。

たばこである。

祖母は昔からヘビースモーカーで、一日に何箱もたばこを開けていた。以前は、たばこが無くなると、すぐに近くのコンビニに買いに行っていた。
この頃から、コンビニに行ってはパンやお菓子、フランクフルトやお弁当など、とても一人では食べられないような量の買い物をしてくるようになった。そして、お金が無くなると祖母と一緒に生活をしていた長女(私の父の妹)にお金を要求した。

はじめは、私たち家族も皆、
「少し呆けてきたんだろう」
位に軽く考えていた。
しかしそれは、この後起きる激しい闘いの日々のはじまりだったのである。


iPhoneからの投稿

無知ほど恐ろしいものはない。

祖母がアルツハイマー型認知症と診断され、一年が経とうとしている。
一年を経てほとんど言葉を口にすることがなくなった祖母を見て、私は自分達家族の無知がいかに祖母を苦しめたのかに気がつくのだ。



iPhoneからの投稿