こんばんは!

チナミです!


最近全くテレビを見ない生活をしているので
芸能情報にはかなり疎くなっています

久しぶりにネットを見たら

“あるモデルさんの夫が恐喝で逮捕され、その場に彼女も同席していたにも関わらず逮捕の報道があるまで普段と変わらずSNSを更新していた”

という記事を見ました

彼女は報道が出てから

「虚偽の事実をネットに流し続けてしまい申し訳ありませんでした」

と謝罪していました

私はこの報道をみて

それの何が悪いの??と思ったのです


彼女はあくまでモデルというキラキラした世界を演出し
その世界に生きる彼女を自己プロデュースしていただけじゃないですか?

だって
きっとモデルである彼女を私達が見るときって
その人の本質じゃなくて

「セレブできらびやかな世界にいる彼女」
として憧れの目で見てないですかね?

そんな彼女が本当のことを言って
誰か嬉しいの??
彼女のファンも嬉しいの??


ニュースを深く見ていないし、マスコミの記事は真実ではないと思っているから憶測でしかないけれど

内輪の揉め事をわざわざ報道して
彼女がその場にいたのにSNSで普段通りに更新してるのが許せない!

みたいな…

おかしくない?

じゃあ自分に置きかえてみたらどうなの??

悲しいことがプライベートであって
職場や学校でその事を全部さらけ出せる??

さらけ出せる相手はいるかもしれないけれど
大勢の場でそんな事できるだろうか?

私にはできない
周りが勝手に作ったイメージを壊さないように振る舞うと思う

その方がお互いにとっていいと思う


私だって
今ブログで色んな思いを書いているけれど
一歩社会に出れば

子持ち
シングル

というカテゴリで

周りは勝手にイメージを作って

職場で聞かれることなんて

子どもの話題か日常の買い物の話くらい


その人たちから見れば私が

「幸福度の指針をつくる講演家になります!」


なんて言ったところで

「は??何言ってんの?」

となるわけで


みんな、その人の知っている情報だけで勝手にイメージを作ってしまうものなんです

私だってそう。

だから彼女の行動は決して駄目なことじゃない

みんな
それぞれのシチュエーションで自分を演じているもの

「嘘も方便」

なんて言葉があるように

真実ばかりを言う事がすべて正しいってことではないはず

お互いを守る
お互いが幸せに生きる

そのための虚像だってあっていいと思う

虚像って言うと語弊があるなら
“演出”に言い換えたらどうかな?


みんなそれぞれのドラマを生きてる


もちろん

私もその一人

真実は事実とは異なると私は思う


なぜなら
私は今幸せだけど
別の人が同じ状況になったら不幸と思うかもしれないから

すべては捉え方次第

今日は良いことを書くというより素直な気持ちを書きました

また明日