ありちゃんのあれから
ありちゃんというか、我が家のあれから。
私とありちゃんは私の母とおばあちゃんと女4人で実家に暮らしていました。
もうそろそろありちゃんも半年だし、不安だけど、オーストラリアに帰ろうかなと準備や、オーストラリアまでの付き添いも私の父に頼み、チケットはどーしよういつにしようと色々考えていました。
その頃、パパはオーストラリアで永住という夢に向かって、ビジネスビザを申請していましたが、半年待っても、1年待っても、そのまた半年待っても…
一向に進展せず、降りるとも降りないともなんとも宙ぶらりん状態で安月給でずーーーっとこき使われて働いて…
生まれた我が子にも会えず…
そんなある日、ついに…
「帰ろうかな…」と。
プライドが高く、日本の家族や友人知人にももう別れを告げて来ていたんで、ぼやきかと思っていたんですが…
急にプチンと何かが切れてしまったように…
次の日も「もう諦める」と。
それから確か1ヶ月も経たないうちに荷物まとめて部屋の契約も切って帰国したと思います…
そうなると今度は日本で暮らす家ですが…
自動的に主人の実家、というかオーストラリアに行く前に主人が同居してたお父さんの為に買ったマンション。
主人はお母さんが早くに亡くなってしまって、お姉さん2人も早くに結婚していたので、ずっとお父さんと一緒に住んでいました。
そのマンションにいきなり3人が押しかける自体に…
しかも帰ると決めて1ヶ月も経たないうちに
オーストラリアに2人で住んでいた分の荷物と
私とありちゃんが日本で暮らしていた荷物と
ひと家族が一気に狭いマンションに集結
そりゃ入り切らず、荷物はあふれています。
そんな感じで、急にオーストラリア行きもなくなり、同居が決まり、引越しや片付けや、環境整理など急に忙しくなりました
しかも昔から絶対嫌だった同居。
でも文句ひとつ言わず受け入れてくれたお義父さんにも感謝しなきゃですよね。
まぁ受け入れざるをえない状況でしたがね。
んーーーー。
その辺はまた機会があればまとめて。
そして、時は流れ(笑)
実は今、ゆめのマイホームを建設中です
と言っても訳あって今のマンションと
さほど坪数が変わらないんですがね
その辺も機会があればまとめて。笑
と、いう感じで主人の夢は残念ながら叶いませんでした。
まあ、夢で思い描いていたオーストラリア生活と、実際暮らしてみた現実はだいぶ違っている事を認めざるを得なかったんです…
主人も帰国後すぐ働き出し、頑張って家族を養ってくれています。
やっぱり日本人には日本が1番です🇯🇵
では今日はこの辺で。
まとまりのないブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございます
ではまた