とばり | アマヤドリ

とばり


また山小屋の旅のこと。

『アルプスの少女ハイジ』を何十年ぶりかに読んでどうしても山の夜明けが見たくなった。
夜更かししたのだけれどこれだけは、と、4時に目覚ましをかけて眠たそうな友達を叩き起こして車ででかける。
山道は昼間でもくねくねで怖いのに4時だとまだ真っ暗で、しかもものすごい寒さのためすぐにフロントガラスは真っ白に曇ってしまう。
ちょっと危ない道ゆきだった。


とある曲がり角でかもしかを見かけた。
たぶんかもしかだったと思う。
まだガラスはちょっと曇っていて私は空気を入れるためにガラスを少しあけていた。
切れるように冷たい空気のなかでかもしかはこちらをじっと見つめていた。
逃げもせずにどっしり、山の主みたいだった。

この旅でこのかもしかと、逃げる小鹿のおしりと、きつねを見た。
あと私以外のひとたちが猫と犬の間くらいの大きさの鹿を見たと言っている。
生まれたばかりみたいによろよろしていたって。
でも鹿ってそんなに小さいだろうか?


『トゥーランドット』の本番のとき、フラッカーロさんが歌うNessun Dorma(誰も寝てはならぬ)を、なるべく舞台ぎりぎりのところでダンサーたちが聴いている。
照明がちょうど夜明けの青で、それを見つめながら身を寄せ合って歌声をきいている私たちは目が覚めてでもまだじっと朝を待っている鳥みたいだなあといつも思っていた。

車のなかでずっとこの歌が頭の中を流れていて、多分私このさきかなり長いこと、夜明けの景色を見たらこの歌をうたっちゃうんだろうなと思った。


ずっと前だけれどいつでもどこにでも連れて行ってあげるからわがままを言いなさい。と言ってもらったことがあってじゃあ海で朝日を見たいと言ってみたらそれなら今から出かけるから、ということになったことがあった。
私は稽古の後だったし友人は残業の後だったし疲れているはずなのに夜通し細かい道をぶんぶん走ってくれて九十九里浜に連れて行ってくれた。

私は初めて見る、どんどん明けてゆく朝の色を一瞬も見逃したくなくてずっとものも言わず外を眺めていた。
どんどん変化する色に胸がいっぱいになって、ずーっと私は涙が止まらなかった。
九十九里浜に着いたときにはあんまり海岸が長くてそんなの見たことがなかったから「きれい…」とつぶやくことしかできなくてあとの空気は全部どきどきすることに費やされた。
ずっと口を開けてはあはあしてた。
夢かもしれない、と思った。
空が虹色で見渡す限り、海と海岸だけだなんて。
いっぺんに全部を見られなくて、どこかを見ていると反対の空の色が変わってしまう。
全部つかまえられないことが苦しいくらいだった。

あんまり私が黙りこくっているからつまらなかったのかと友達は思ったみたいだった。

後から、つれてきてくれてありがとうって100回くらい言ったけど私がどれくらいこころを揺さぶられたか、伝わらなかったと思う。
こうして時々思い出していることも、知らないんだろう。