昂ぶる、見とれる、おさまる
2回目の舞台は前とは違う目で見ることができた。
前回は正直いうとソロの作品があまり響かなかったのだ。
今日はなぜだか感傷的で、ふと涙がこみあげそうになる瞬間があった。細かいからだのふるえまでが見えたからか。
音楽のせいもある。
しばらくひとのこえの祈りみたいなものを聴いていなかった。
高校生くらいの女の子って得体の知れなさを自分で持て余しているようにみえる。こどもでもなくおとなでもないことのなんと生々しいこと。きっと…なにもかもをうまくやりすごせないのだ。
私にそんな時期はあったかのだろうか。
慣れない重みに振り回されて、ねばっこい孤独にからめとられて、わたしでないなにかとみれば牙を剥くような。
…そんなふうではなかったかもしれないなぁと思う。
あの頃はちっとも生身じゃなくてうまくやりすごすことばかり考えていた気がするな。
急いでひとりの人間として輪郭をもたなくてもいいやと思っていたのかもしれない。
生臭さをなるべく隠していたかったのかもしれない。
なにしろわたしはなにかしら普通じゃない、と心配するようなナルシストだったのだ。
休憩時間にベランダのようなところに出ると雲の向こうに稲妻が走っていた。
ひかりは大きかったけれど音がしなかったからかなり距離があったのだろう。
雲を内側から照らし、ときどきぎざぎざがはじける。
繊細でどきどきした。
なぜ嵐は美しいのだろう。
ショウイングを見てくれた方と話をして、迷走していたあたまや気持ちを整頓できた気がする。
自分を信じるべきだし、見破るべきだ。
ほどよく。
柔軟に。
