ぎゅうっとしたくなる時間
きっかけはいつも友達が運んでくれる。
元気を取り戻すのもそうだしこころをまっさらに澄ませてくれるのも、スパイスを加えてくれるのも。
いくらかっこうつけてみてもちっともよくないんだよな結局のところは。不細工な方法でも回りくどくても芯から生まれでたことでなくては、なにしろ自分が一番納得できない。
毎日そこが澄んでいて見えればいいけれどやっぱりそういうわけにはいかなくて頑張ってみてもよくわからないこともあるしぼけっとしていても見過ごすこともある。
とらえる方法なんて今だにわからない。こんなに何年も生きてきたのにね。わからない、つかめない、とそのことだけの実感が重なってゆく。
だけどこんな日にはぽんとそこへの通り道ができて、すうっと空気が通り抜ける。
そのときは切ないくらいやさしく素直になれる気がする。
まっとうな自分でいられるきがする。
周りのものすべてがなんかいとおしくなったり、恥ずかしいくらい。
素直であることが恥ずかしい時期があった。
いや、私はほんとは素直ではないとも思う。
たぶんこの日記を書いているうちに自分の頑なさにも気付いたしフラットではいられないことにも、逆に考えていたよりも単純な部分も見つけた。
素直だ、なんてひとくちには言えない。
人間だものなぁ。
ごちゃごちゃと入り組んで、でもある瞬間に急にぱたっと一本道になったり裏返されたり。
でも私はわたしのそのまま、みたいな部分にずっと自信がもてなかった。
知らずにいた。
今もわからないけど、でも少なくとも一緒にいて心地よい友達、こころから幸せになってほしいひとの前ではわたしでいるしかないんだなあと思う。
そこで自分を知る。
わたしがそう在りたいという自分かもしれないけれど。
でも表面ばかりの自分では、ない。
そんなことを気付かせてくれるなんてすごい。
っていつも思ってる。
私は女の子で、強いところも繊細なところもあって、まるごと認めればいいじゃない、認めたくない弱さごと抱えるしかないじゃん!
って。
彼女はなにかそんなことを言うわけじゃないけれど、だからこそ。
ひとってすごい。
繋がることができて変わることもできて変わらないことも選択できる。
単純で宇宙の星よりも同時にたくさん思考して。
なんて豊かなんだろな。
豊かでありたいなー。
ちっちゃい自分ももちろん認めるけど、認めることと甘んじることは違うと鞭も打ちながら。
私、人間をはじめてやってみてるんだと思う。
だから大人になってやっといろんなことが繋がったり、意識になにものかがのぼるようになってきてる。
前世は生まれたけど考える暇もなく死んじゃったなにかなんだろうな。
ときどき幼い思考が恥ずかしいけど、でもいいや。
