『 kamihikouki 』 | アマヤドリ

『 kamihikouki 』

ファビアン・プリオヴィユ&バレエノアの公演をさいたま芸術劇場に観にゆきました。

これが、ほんとうによかった。
もっときちんと宣伝していろんなひとに見てもらえたらよかったのに!と悔やんでしまうくらい。

まず始めにファビアン自身の故障の体験を作品にしたもの。
ごくごく細かい点線で繋がったような動きから徐々に発展してゆくのだけれども、床からその重みをおこすことのできないからだからその鬱積がはじけるような動きまでのストーリーがとてもストレートだった気がする。
第2部までの休憩の間、私はこの作品のことが掴みきれないまま無言でパンフレットの彼の言葉を読んでしまった。
なんだか、はかりがたかったのだ。

2部は友人の出ている作品。これがほんとうに素晴らしかった。
実は私はあまりファビアンのことも知らなかったし、バレエの発表会の一部としてワークショップで創った作品を入れ込んであるのかな…という全くの予備知識無しで見に行ったのだ。
でも実際はちょっとあっけにとられるくらいしびれた。
作品もダンサーたちも、そしてそこから見えてくるファビアンというひと、ダンサーひとりひとりとの向き合い方、その過程。まさに今、この子たちにしか表現できないものを確信をもって切り取っていること。
どんなにか丁寧に話を聞いたのかということ。
それがピナの方法でもあり、それをファビアンが大事にあたためて、若いダンサーに甘やかすことなく、でも最高の愛情で伝えたこと。ダンサーたちがそれに応えるために世界とたくさんコンタクトをとったであろうこと。
いっぺんにたくさんの感情が湧きあがった。
なんだろう、やられたみたいな気持ちと、立ち会えたことへのわくわく感と。記憶しておきたいけどただそのまま受け取りたいというジレンマも。
1部のソロがあんなにストレートだったのはまさに真っ直ぐ嘘偽りのない表現だったのだ、ということがその時初めてわかった。
1シーン1シーン捨てる部分がない。新しいアイディアの連続。振付の動きも見飽きることがない。

誉めまくりだけど。
ほんとうによかった。

どうしてあんなに皮膚感覚的に、日本の女子高生のことがわかるのだろう。
すごいことだと思った。

観に来ていたのは関係者が多かったんじゃないかな。身内のかたとか、バレエ団のつながりのあるかたとか。
もっと多くのひとに見て欲しかった。ダンサーにもだし、若い演出家にも、表現を志すひとみんな。それから学生のひとたちにも。


友達がファビアンにフランス語で感動を伝えているのがとっても羨ましかった。
私なんか日本語ですら話し掛けられないよー。


どうか、また日本で作品を創ってください。
再演もしてほしい。


あやちゃん、お疲れさまでした。
すっごくすっごく素敵でした。
あやちゃんを再発見したみたいなきもちになって、しびれたよ。
この日記を見つけたりすることはないだろうけど、感謝をこめて。