『Here After』/Wim Vandekeybus
ダンスカンパニー、Ultima Vezのビデオ。
ダンサーひとりひとりの存在感がいい。
ときに俳優のように目のゆく先や爆発するからだが語る。
ひとの感情をこえて掘り出されたまっさらなはずのダンサーたちは、しかしそのことでよりひとりひとりが浮き立って見えたような気がする。
ものすごい大きな闇のなかでくっきりと白い意志が生まれて、もがいているみたい。
生身のにんげんなのか、罪を引き受けた天使なのか、常闇を彷徨うまだ生まれる前のいのちなのか。
特に女性のほうが印象的だったけれどそれは自分に重ねたからだろうと思う。
もしも私だったらこんなに厚みのある息遣いをこの画面に残せるだろうか、というふうに。
この作品は白や黒のシンプルなかたちの衣裳だったのだけれどこのあとに見た『The Moebius Strip』はものすごく普通にジョギングでもしそうな出で立ちだった。
そのことでふと、ダンサーがからだからいろんなものを削ぎ落とす(贅肉のような物理的なものもそうだけど、動的なこと)のもこの、イメージを固定しない衣裳を着るということと同じラインにあることなのかもしれないと思った。
つまりより純粋にその作品の意図を投影し、そしてその像をなるべく歪ませずに観客に届けるということ。
たとえば必要以上の想像を与えない。
たとえばからだや空気の軌跡以外のところに視線が散らないようにする。
演じている、ということをふいに思い起こさせない…または、演じていた方向にふとした変更をみせない。
もちろんダンサーはただのまっさらなスクリーンであるわけではない。作品をからだや精神に投影することがもうすでにそのダンサーの意志の介入なくてはできないことなんだし。
踊るときの表情や間の入れ方、たちのぼらせるもののことへのヒントになりそうだと思う。
そして、ほんの少しのごまかしや余計なぶれもすぐさま伝わってしまう緊迫感も覚えておこう。
影の使い方と血を白で表すやりかたが悪くないと思った。
全体的にとてもセンスがよい。
ビデオでのダンスの作品づくりもたぶんおもしろいだろうなぁと興味が出た。
ダンサーひとりひとりの存在感がいい。
ときに俳優のように目のゆく先や爆発するからだが語る。
ひとの感情をこえて掘り出されたまっさらなはずのダンサーたちは、しかしそのことでよりひとりひとりが浮き立って見えたような気がする。
ものすごい大きな闇のなかでくっきりと白い意志が生まれて、もがいているみたい。
生身のにんげんなのか、罪を引き受けた天使なのか、常闇を彷徨うまだ生まれる前のいのちなのか。
特に女性のほうが印象的だったけれどそれは自分に重ねたからだろうと思う。
もしも私だったらこんなに厚みのある息遣いをこの画面に残せるだろうか、というふうに。
この作品は白や黒のシンプルなかたちの衣裳だったのだけれどこのあとに見た『The Moebius Strip』はものすごく普通にジョギングでもしそうな出で立ちだった。
そのことでふと、ダンサーがからだからいろんなものを削ぎ落とす(贅肉のような物理的なものもそうだけど、動的なこと)のもこの、イメージを固定しない衣裳を着るということと同じラインにあることなのかもしれないと思った。
つまりより純粋にその作品の意図を投影し、そしてその像をなるべく歪ませずに観客に届けるということ。
たとえば必要以上の想像を与えない。
たとえばからだや空気の軌跡以外のところに視線が散らないようにする。
演じている、ということをふいに思い起こさせない…または、演じていた方向にふとした変更をみせない。
もちろんダンサーはただのまっさらなスクリーンであるわけではない。作品をからだや精神に投影することがもうすでにそのダンサーの意志の介入なくてはできないことなんだし。
踊るときの表情や間の入れ方、たちのぼらせるもののことへのヒントになりそうだと思う。
そして、ほんの少しのごまかしや余計なぶれもすぐさま伝わってしまう緊迫感も覚えておこう。
影の使い方と血を白で表すやりかたが悪くないと思った。
全体的にとてもセンスがよい。
ビデオでのダンスの作品づくりもたぶんおもしろいだろうなぁと興味が出た。