素描/影踏み
確かなのは影だけだった。
月明かりがおとす影は傘をかむったように滲んでいる。
ときおり動く風がそう遠くないところに湖があることを教えてくれる。
それほど闇が深いわけでもないのに目を開いているのかがわからなくなる。
耳がそれを塞いでいるのかもしれない。
かすみを足で払いのける。
乱して余計に隠してしまった。
丁寧に、すくって確認する。
息をつめるように親指から感じてゆく。
冷たいが確かに、そこにある。
*
少年はチーターの首を抱いて静かに涙を流していた。
一番深いところにいるからそれは毛穴を覆う霧にも見えただろう。
水の匂いに満ちた闇のなかでもなお独立を保っていたやわらかな産毛は、ほほに接したとたんにこのうえなく優美な流れをつくった。
*
なにかが揺らいだことを感じて振り向いた。
月は姿を消してしまっていた。
あまりにも夢中にまっすぐ進みすぎたのだ。
影が失われて湖から離れてしまったことにいまさらながら気付く。
呼吸までが静止する。
まるで夜行性の猛禽類に見つかるまいとするかのように。
*
次第に少年の呼吸はチーターのそれと同化する。
胸に接する右耳には、体温もリズムも時間の景色も錆ついた爪の記憶もすべてが束になって流れ込んでいた。
涙はその結実ではない。
トンネルを抜けたそれらは紐を解かれ月のない夜を覆ってゆく。
*
さぐる指は決まっているのだということを知る。
影に触れるために屈む足首は錆ついたように想像が及ばない。
どういうわけか鼓動は右耳ばかりに響く。
平たい石を鋭く投げて粉々にしたい、と思う。
*
間隔をせばめながら近づきくる乾いた加速に、少年はそっと首筋の模様の奥をさぐる。
さぐるみちすじはいつも等しい、と彼女はそこに体温を送ってやる。
指がまったく音を奪われてやっとそのかおりに辿り着いたとき、
少年はまばたきをした。
もう二度とその重みを胸に受けることはないのだと悟りながら、
彼女は深い呼吸でこぼれ落ちた湖の音を記憶した。
