フェルデンクライスメソッド | アマヤドリ

フェルデンクライスメソッド

ごく小さな動きをからだのなかに耳を澄ませながら続けることで、さまざまなことが頭に浮かんでは循環し、変化していった。
ちいさなちいさな気づきやもがきが脳に伝わって、ああでもないこうでもない、けれどそれもありのままに受け入れて、工夫して、けれどやっぱり上手くできないままだったり。
立ち上がってみると足の内部のど真ん中にちゃんと骨があり、それがかかとの部分でしっかりと床に繋がっているのを感じる。
意識して床を踏もうとしなくても脚全体の重みがちゃんとそこにあって、それ相応の重みで体を床につなぎとめていてくれることが分かる。
靴の部分に磁石がついていてちゃんと立っていてくれるリカちゃん人形があるけれど、ちょうどあんなかんじ。
そして足の重みのぶん、自分のセンターは何にも無理なく、吸い上げられている。

どうでしたか、と先生が訊いてくれてそれに対して感じていることを伝えようと考えているうちにまだまだからだが変わってゆく。
私以外の誰かが発見した感覚を聞くことでもまた、そうだ、そうかもしれない、というように感覚が増えてゆく。
関節はそれぞれのかたちで決まった動きしかできないけれど、それをサポートする筋や筋肉はもっと自由で、豊かだ。
骨それ自体は曲がったりねじったりすることはできないけれど、それぞれを繋いでいる空間はもっと柔軟だし、滑らかだし、規制がない。

ちょっとからだに聴いてあげるだけで、こんなにも発想があるのかと驚いた。
当然のことなのに忘れていた、肋骨は全部がひとつのものとしてしか動かないわけじゃない、ということも再確認。
そのうち肋骨一本いっぽんをばらばらに動かせるようになっちゃうかもしれない…というのはちょっと気持ちが悪いけれど。

いろんなひとの話を聞いていて思ったのだけれど、小さな頃からしっかり訓練を受けてきてからだを作り上げてきたひとにとってのこの作業と、私が気付いてゆくこの感触とはまた違うのかもしれない、と先生に言ってみたら、たぶん大きく見れば同じことなのよ、というふうに感じたみたい。
まだ、そこは自分のなかではわかっていない。

けれどとにかく、私のなかや周りの空間に支離滅裂に漂っているこの感覚、気付きとか感触とか意識が、ちゃんととんとんと整頓されてクリアになってゆくかもしれないという気がしている。