THE OPEN DOOR
年末年始の稽古はこころとからだをずいぶんやわらかくしてくれたなぁと思う。
骨と骨の隙間に新しい風が吹いてくれているよう。
ことばは相変わらずよどみなく出てはこないけれど、まことをもって話したいという気持ちが深まる。
クリアになった。
この透明感を濁らせないようにものを見たいと思う。
からだに耳を澄ませるような稽古のなかであるとき、腰の中心が今まで感じたことのない定まり方をしたことが一度だけあった。
よく滑るボールベアリングがそれより少し大きな器のなかでくらくらと細かく自由に動く、うごくからこそその場に定まる、ような。
その動きは自分の意図とは関係がなくて不思議だったけれど不快ではない。
体重がまったくかからずどこにも引っ掛からない、といった感触。
骨盤を定めることと軸を地球の中心とつなぐこと、エネルギーを小さくゆがませずに巡る大きな球でとらえること。
一番の弱点をすぐに見破られる。
これはしばらく課題としてこころに留めよう。
先生がくりかえし言っていた自分という個人の中の普遍性とかうつくしいと感じる感覚と、自分以外の多くの人のそれとの寄り添いをみつけるという作業、意識。
自由に感覚をはばたかせることと呼吸をひとつにして全のなかで踊ることとをうまく共存させられなかった頑固な私のアタマをほぐしてくれたのはもちろん、なんだか生きて行くうえでのヒントみたいだと思う。
ひとと接することや自分のこころの中を覗き話し合うことと踊ることとは、同じ道のうえにちりばめられている…ように思う。
それから創ることに改めて興味がわいた。
まだ、意図的に設定するものと生まれてくる感覚との境、おもしろいものとはなんなんだろう…たくさん考えたいことがあるのだけれど。
音やことば、色のこと。
たぶん私が創るものから切り離せないのはとくに物語と夢と意識と無意識、ことばの色のことだと思う。
かたちとなって生まれてきてほしいな。そろそろ。
先生が薦めてくれた本をいくつか買ってみた。
紹介してくれた、その中のことば。
「何よりもまず、個人個人が自らの秘密の世界を明るみに出すことによって生じうる混沌は、統一を与えられて、多くの人が共有できる体験とならねばなりません。言いかえれば、演者が喚起しようとしている現実の側面が、どの観客についても同じ領域における反応を誘い出し、その結果、観客は一瞬、一体となって同じ印象をもつというふうにならねばならないのです。こうして、基本的素材が提示されると、物語りなり主題なりが何にもまして共通の場を提供する役割を果たします。共通の場とば個々の観客が年齢や背景の違いを超えて、隣にいる人と一体になってある体験を共有する可能性を与える場のことです。
…(略)…俳優と観客とが互いに結び付く千分の一秒の瞬間においては、肉体の包容の場合と同じく、重要なのは、密度、濃密さ、多層性、豊かさ…いいかえればその瞬間の質です。……」
Peter Brook
