すれちがい、東京の灯りふたたび/危険運転致死傷罪 | アマヤドリ

すれちがい、東京の灯りふたたび/危険運転致死傷罪


羽田空港にゆくモノレールの中ではっとする。
旅の中でみたジェットコースターの夢 や子供の頃からよくみる電車でどこかに行く夢の芽はここにあったのだ、というひらめきみたいな瞬間を目にして。
私がこの羽田空港までのモノレールに乗ったのはずいぶん小さなころだったと思う。
私の頭のなかにこの光景はずっと仕舞われてきたのか。
しばらく何も考えられなくなる。


空港のカフェでボスに手紙を書く。
私がヨーロッパにひとりで旅立つときにボスが手紙をくれてとてもうれしかったから。

空港にモノレールで向かったことで感傷的になったみたいで、手紙の文章がうまくまとまらなかった。


手紙とプレゼントを持って待っていたのに、結局見送ることはできなかった。
見送り終わったひとたちと偶然会って、私がいることを誰も知らずにびっくりしている様子を見て、私が信じようとしていたさいごの綱が切れたことを感じた。
ボスとしばらくの別れになるのに、見送りをしたかった私の気持ちを知っているのに、あえて邪魔をした。
お世話になっているしずっと迷惑をかけているからどんなことをいわれても我慢してきたけれど、このことは私のこころを折ったし、しばらくはきちんと彼女と話すことはできないだろう。

責任あるこの仕事を、踊りと両立させてゆくことはもう難しいかもしれない。
多分私はもともとこのひとと相容れない部分があるのだろうけれど、ここまでのことをされるということは彼女によっぽどの思いがあるのかもしれないのだから。

会社のひとたちは私が踊りながらこの仕事を続けることを応援してくれるけれど、でも彼女だけは、応援してくれている気持ち以上のやりきれなさを感じているのだろうと思う。
ずっとずっとそのことは感じていたし、私ができることはせめて、職場にいるあいだは自分のできる精いっぱいで働くしかないと思ってはいたけれど…。至らないところがたくさんあるのだろうな。
上のひとに彼女に迷惑をかけたくないと相談しても、誰も彼女の大変さに気づいてはいないし、誰も私がどのくらい思いつめているのかということも、知らない。

だからって意地悪をしていいとは私は思わないししばらくは笑って忘れることができない気がするけれど(でも話しかけられるとすぐ嫌なことを忘れてしまうから困る)、でもこの仕打ちにはいわれがないわけではないのだ。


けれど帰りは業者さんが車にのせてくれて、家までわいわいみんなで帰った。
景色を見ているとなんだか泣いてしまいそうだったけれど、私はこのひとたちの仕事ぶりが好きで、そんなひとたちの前で子供みたいなことをしたくなかったからもちろん泣いたりしなかった。
色んな話をしながら2時間くらいのドライブ。
プレゼントと手紙は今日ボスの荷物をドバイに送るということだったのでそこに一緒につめてもらうことにした。
よかった。




帰ってきて3人のお子さんが亡くなった事故の判決を新聞で読んで、悲しい気持ちになった。
事故をもみ消そうとしたその行為が罪を軽くすることになったなんていう判決を、被害にあったおふたりはいったいどんな気持ちできいたのだろう。
加害者はもっと重い刑を負うべきだ、とかそういうことは私はいいたくない。
いえない。
けれど、3人の命が目の前からこぼれていったお父さんとお母さんの気持ちは、日本の法律より絶対にぜったいに軽くないと思うんだけどな。
なんか悔しくてかなしくて仕方がない。
もっと決まりと決まり、文章とか憲法とかのすきまを埋めている心のことを考えないと、人間社会なんてどんどん立ち行かなくなるとおもうんだけど。
毎日新聞はその記事で囲むようにして、自衛隊派遣のために日本の憲法を変える、という記事を載せていた。
きっと、なにか意図があったんだと私はおもう。