小さな机、情熱、給食 | アマヤドリ

小さな机、情熱、給食


小学校にでかけた。
学芸会の振付をつけていて、そのかためをするために。

誕生日だったその日はよく晴れた気持ちのいい一日だった。
どきどきと教室に向かうと、まだ先生である友達と子供たちのたたかいがくりひろげられていた。
私はこっそりと生徒から身を隠し、ちょっと学校を探検する。

非常口をこそっとあけて運動場のマラソンを眺めてみたり(先生に見つかったら困るかもしれないから、ほんとうにひっそりと)、たけうまを撮影してみたり、家庭科室にぶら下げてある、作品の巾着袋を見物したり。


こどもたちの声に満ちたたてもの。
けれど私のいる階は静かなひかりがはいってくるだけ。
しんと冷えた廊下に座って、なるたけたくさんの音を聴こうとこころみる。


前日に私がお風呂に浸かって考えたことは、もう確かには思い出せなかった。
可能性のこと、真剣にやってみること、かけがえのないすべてのこと。
伝えたいことはたくさんあったけれど長たらしく語ったところで残りはしないだろう。

しばらくして、芝居のシーンを見て欲しい、と何人かがやってきた。ちょっと緊張し、そしてうれしい。
踊りもそうだけれど芝居もまた、不正解はないなあと思いながら見る。
本気で台詞を言った方がいい、ということをずっとアドバイスする。
テンポのことも、体の動きのことも、目線や声のことも、「本気で演じる」ということがかなりの部分をカバーするのだということを話しながら、自分でも知る。

踊りの稽古でもつい「心から動いていればなんでもありだなあ」という思いばかり強くなって、具体的に磨かれたかどうか。たぶんそういうところは友達の方が的確な目を持っている気がする。


給食の時間。
栗ごはんとひじきと、タラみたいな魚と子持ちししゃものてんぷら。
みんなと一緒に食べる。
せんせいとたべたいー!とか、せんせいいいにおい!とか、せんせいのブーツかわいい!とか、なんかうれしくなってしまう。
小学校のとき私はほんとうに男の子にしか見えなくて、いつも女の子たちに弟みたいに可愛がられていた。
女の子にとりまかれるのは相変わらずだけど、今は男の子には見えないんだなあ。(というか小学生からみたらお母さんだ)
そのことが、なんだか不思議。

目の前で食べていた男の子が大人びた子で、私はちょっとためしながら色んな話をしてみた。
伏せがちな目で答えてくれる。
ちゃんと自分だけが会話をしないように気を使っているのか、隣の男の子にも話をふってくれる。隣の子はまるでまだ叫んだり乱暴をしたりするようなことのほうに興味があるようで、目を合わせて会話をするということがなかった。
同い年で、面白いものだとおもう。
目の前の男の子はしずかに私のお皿を自分のおさらに重ねて、下げてくれた。


明日はその学芸会の本番。
おととい出したToiToiToiのはがき、ちゃんとみんなに届くといいな。