線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ
鉛筆だけで描いた作品の展覧会に行ってきました。
私は鉛筆がすごく好きで、大人になった今でも筆記用具入れの中に鉛筆を持っている。会社でもmy鉛筆削りがあるくらい。
行く前にmixiで色んなひとの感想を読んで、期待とイメージを膨らませていたのだけれど、私のイメージ以上。期待以上に色んなことを感じた展覧会でした。
●篠田教夫さん
入ってすぐこの作品だったことが、たぶん私の「鉛筆画」に対する想像の蓋をとっぱらった。
どんなに近くで見てもこれが鉛筆の作品だとは思えなかった。鉛筆の線というものがどこにも見当たらなかった。
(あとで、この方の作品はまず画面を真っ黒に塗り、そこから先を削って尖らせた電動消しゴムでちょっとずつ白い部分を浮き彫りにしてゆく手法だということを知って初めて納得できたけれど)
とにかく細かい。
「崖」という作品の壁の細かさ(牡蠣の殻みたい)をじっくり見ていたら突然視界に小さな柵のようなものが現れて、この景色のスケールを自分が読み間違っていたことに気づく。
あまりに細かいものだから、ミクロの世界かと思い込んでしまっていたんだろう。
●磯邉一郎さん
ばらばらに見える、小さな作品。
ひとつひとつをじっくり見て、このひとはどんなことが好きなんだろうと考える。
このひとの中にあるなにかを、この作品たちから読めないだろうか…と、どこかに共通点を見出そうとする。
共通点というのはその絵から直接感じるなにかじゃなくてもいい。絵から遠く離れたどこかにあるのに、そこに焦点があたらないだろうか、と、探る。
はじまりとおわり…と突然思った。
整然と混沌。
喧騒と静寂。
なんだか思いつくものが両極のことばかりだった。
そうしたら、作者のコメントのところに書いてあったことばが面白くて、私が感じたこの感覚はそうはずれていないのかもしれない、と嬉しくなった。
両極というよりも、もっとそれがウロボロスの蛇みたいな感じで含まれている、ような内容だったけど。
小さな部屋にあった三角の絵がとても印象的だった。
なんだか哲学みたいだった。
少しだけ欠けた図形からは本当の姿を想像することはできなかったのに、欠けたパーツを見たときには全体像がこうだったら面白いのに、と、正解に近づくことができた。殆どそろってしまっているものは、それ自体で完結することが可能だったからなのだろう。
●木下晋さん
白と黒は影と光だから凹と凸に見えるのだろうか。
そのことをずっと考えていた。
黒はどうして引っ込んで、とか、遠く広がって見えるのだろう。
友達と、空間の広がりと光の関係について話をした。
●齋鹿逸郎さん
部屋中を埋める鉛筆の線に驚いた。
航空写真みたいだ、と見ると、都会から森から、地球上の金属じゃないもので建てられた建物ばかりの街、とかいろいろあって面白かった。
でもだんだん細胞みたいにも見えてくる。
篠田さんのところでも感じたことだけれど、色のないものってそれだけ限定を受けないから、すごく想像の余地があって、ときどきそれが驚くような効果を与えたりする。
鉛筆画の粒子の細かさが、一層そうさせてるのか…
●関根直子さん
柔らかな線が砂鉄のように白い画面の中をうごめいている。
やさしいラインなのに何故か、こころがざわざわする。
磁石で動かされちゃいそうな、そんな不安定さがあるからなのかな。
かさこそと光の中を動き回る影に見えるからだろうか。
でも不安にさせられるわけじゃない。まっくろくろすけのおとなバージョンみたい。
●小川百合さん
暗い画面は殆ど闇の中のように見える。夜のお屋敷とか、図書館とか。
それを小さな電球やろうそくや、記憶が照らしている、というかんじ。
図書館を下から見上げた絵はまさに、記憶が照らしたように見えた。画面の手前にいる作者は目を開いているとは思えない。
ここで一番気になったことは、照明。
絵の照明の明るさにあわせて一枚いちまいの絵にかかる照明を調節してあった(と、私は感じたのだけれど…)。
つまりこの絵の中を照らしているのが実際のこの照明であるかのように明度がちゃんと合っていて、違和感がないのだ。角度もよかった。
このひとの絵だけバックを黒にしてわざわざ暗い部屋に設置していたので、ちゃんとそこまで演出したのだろうと思ったのだけれど…実際はどうなんだろ。知りたい。
●佐伯洋江さん
冷たい炎のようだと思った。
めらめらと動きをみせたまま凍りついた。
でも良く見ているうちにうろこのあるアメーバにも見えてくる。
日本の、ちょっと暗い妖艶さと、執拗さ。でもなまなましくないのは儚い構図と、清潔なラインのせいだろうか。
目が離せない感じがちょっとした。
でも大きな作品で上から白い絵の具(かな?)をたらしているものは、この白い部分が絵の具で隠れてるんじゃなくて描かれていない白だったらいいのに、と個人的に残念に思った。
知っている日本画家さんの絵から感じるにおいと近かった。また見てみたい。
●妻木良三さん
布なのに、ところどころくらげのように透けていて、冷たいのか生ぬるいのかわからなくなった。
解説を読んでみたら平穏を表しているとされているその中心部分、そこが私にとっては一番心をざわつかされるところだった。
閉所恐怖症だからだろうか。
温度不明のあの凹凸に包まれるのが、こわい気がした。
でもそんな肌の感覚を起こさせるでこぼこってすごいかも。
●小川信治さん
このひとのものは展示よりも、ワークショップで出来上がった作品のほうがこころを惹かれた。
どうも私は実物そっくりのものを描いたもののなかに何かを見出すのが下手みたいだ。
ビデオから振り写しをするのが苦手なように。
もともとそこにあった感触がわからなくなってしまう。
自分がわからないから、疑ってしまうのだ。作者をも。
終わってから遊べるコーナーがあって、友達と絵を描いた。
私は一本足のちょっと不気味なちゅんちゅんがお風呂を覗いているところを、友達は宇宙の中のちいさな泉と花を(と勝手に解釈)描いた。
友達は絵を私にくれた。星の王子さまだからだろう。
私だけがもっている彼の作品だ。
鉛筆が好きで、しかも濃い鉛筆が好きで、よく2Bのものを使っている。
シャープペンの芯も2B。
だけどここには9Bから9Hの鉛筆があってほんとうにわくわくした。
9Bの鉛筆を使った後では9Hはまるで鉄筆のように感じてしまう。
だけどそれもちゃんと黒のラインなのだ。
どんなに薄くても、白じゃない。
この展覧会は目黒区美術館 にて、9月9日(日)まで。
目黒川沿いにある、ちいさな美術館です。
安いし、是非。
私は鉛筆がすごく好きで、大人になった今でも筆記用具入れの中に鉛筆を持っている。会社でもmy鉛筆削りがあるくらい。
行く前にmixiで色んなひとの感想を読んで、期待とイメージを膨らませていたのだけれど、私のイメージ以上。期待以上に色んなことを感じた展覧会でした。
●篠田教夫さん
入ってすぐこの作品だったことが、たぶん私の「鉛筆画」に対する想像の蓋をとっぱらった。
どんなに近くで見てもこれが鉛筆の作品だとは思えなかった。鉛筆の線というものがどこにも見当たらなかった。
(あとで、この方の作品はまず画面を真っ黒に塗り、そこから先を削って尖らせた電動消しゴムでちょっとずつ白い部分を浮き彫りにしてゆく手法だということを知って初めて納得できたけれど)
とにかく細かい。
「崖」という作品の壁の細かさ(牡蠣の殻みたい)をじっくり見ていたら突然視界に小さな柵のようなものが現れて、この景色のスケールを自分が読み間違っていたことに気づく。
あまりに細かいものだから、ミクロの世界かと思い込んでしまっていたんだろう。
●磯邉一郎さん
ばらばらに見える、小さな作品。
ひとつひとつをじっくり見て、このひとはどんなことが好きなんだろうと考える。
このひとの中にあるなにかを、この作品たちから読めないだろうか…と、どこかに共通点を見出そうとする。
共通点というのはその絵から直接感じるなにかじゃなくてもいい。絵から遠く離れたどこかにあるのに、そこに焦点があたらないだろうか、と、探る。
はじまりとおわり…と突然思った。
整然と混沌。
喧騒と静寂。
なんだか思いつくものが両極のことばかりだった。
そうしたら、作者のコメントのところに書いてあったことばが面白くて、私が感じたこの感覚はそうはずれていないのかもしれない、と嬉しくなった。
両極というよりも、もっとそれがウロボロスの蛇みたいな感じで含まれている、ような内容だったけど。
小さな部屋にあった三角の絵がとても印象的だった。
なんだか哲学みたいだった。
少しだけ欠けた図形からは本当の姿を想像することはできなかったのに、欠けたパーツを見たときには全体像がこうだったら面白いのに、と、正解に近づくことができた。殆どそろってしまっているものは、それ自体で完結することが可能だったからなのだろう。
●木下晋さん
白と黒は影と光だから凹と凸に見えるのだろうか。
そのことをずっと考えていた。
黒はどうして引っ込んで、とか、遠く広がって見えるのだろう。
友達と、空間の広がりと光の関係について話をした。
●齋鹿逸郎さん
部屋中を埋める鉛筆の線に驚いた。
航空写真みたいだ、と見ると、都会から森から、地球上の金属じゃないもので建てられた建物ばかりの街、とかいろいろあって面白かった。
でもだんだん細胞みたいにも見えてくる。
篠田さんのところでも感じたことだけれど、色のないものってそれだけ限定を受けないから、すごく想像の余地があって、ときどきそれが驚くような効果を与えたりする。
鉛筆画の粒子の細かさが、一層そうさせてるのか…
●関根直子さん
柔らかな線が砂鉄のように白い画面の中をうごめいている。
やさしいラインなのに何故か、こころがざわざわする。
磁石で動かされちゃいそうな、そんな不安定さがあるからなのかな。
かさこそと光の中を動き回る影に見えるからだろうか。
でも不安にさせられるわけじゃない。まっくろくろすけのおとなバージョンみたい。
●小川百合さん
暗い画面は殆ど闇の中のように見える。夜のお屋敷とか、図書館とか。
それを小さな電球やろうそくや、記憶が照らしている、というかんじ。
図書館を下から見上げた絵はまさに、記憶が照らしたように見えた。画面の手前にいる作者は目を開いているとは思えない。
ここで一番気になったことは、照明。
絵の照明の明るさにあわせて一枚いちまいの絵にかかる照明を調節してあった(と、私は感じたのだけれど…)。
つまりこの絵の中を照らしているのが実際のこの照明であるかのように明度がちゃんと合っていて、違和感がないのだ。角度もよかった。
このひとの絵だけバックを黒にしてわざわざ暗い部屋に設置していたので、ちゃんとそこまで演出したのだろうと思ったのだけれど…実際はどうなんだろ。知りたい。
●佐伯洋江さん
冷たい炎のようだと思った。
めらめらと動きをみせたまま凍りついた。
でも良く見ているうちにうろこのあるアメーバにも見えてくる。
日本の、ちょっと暗い妖艶さと、執拗さ。でもなまなましくないのは儚い構図と、清潔なラインのせいだろうか。
目が離せない感じがちょっとした。
でも大きな作品で上から白い絵の具(かな?)をたらしているものは、この白い部分が絵の具で隠れてるんじゃなくて描かれていない白だったらいいのに、と個人的に残念に思った。
知っている日本画家さんの絵から感じるにおいと近かった。また見てみたい。
●妻木良三さん
布なのに、ところどころくらげのように透けていて、冷たいのか生ぬるいのかわからなくなった。
解説を読んでみたら平穏を表しているとされているその中心部分、そこが私にとっては一番心をざわつかされるところだった。
閉所恐怖症だからだろうか。
温度不明のあの凹凸に包まれるのが、こわい気がした。
でもそんな肌の感覚を起こさせるでこぼこってすごいかも。
●小川信治さん
このひとのものは展示よりも、ワークショップで出来上がった作品のほうがこころを惹かれた。
どうも私は実物そっくりのものを描いたもののなかに何かを見出すのが下手みたいだ。
ビデオから振り写しをするのが苦手なように。
もともとそこにあった感触がわからなくなってしまう。
自分がわからないから、疑ってしまうのだ。作者をも。
終わってから遊べるコーナーがあって、友達と絵を描いた。
私は一本足のちょっと不気味なちゅんちゅんがお風呂を覗いているところを、友達は宇宙の中のちいさな泉と花を(と勝手に解釈)描いた。
友達は絵を私にくれた。星の王子さまだからだろう。
私だけがもっている彼の作品だ。
鉛筆が好きで、しかも濃い鉛筆が好きで、よく2Bのものを使っている。
シャープペンの芯も2B。
だけどここには9Bから9Hの鉛筆があってほんとうにわくわくした。
9Bの鉛筆を使った後では9Hはまるで鉄筆のように感じてしまう。
だけどそれもちゃんと黒のラインなのだ。
どんなに薄くても、白じゃない。
この展覧会は目黒区美術館 にて、9月9日(日)まで。
目黒川沿いにある、ちいさな美術館です。
安いし、是非。
