サンドアート | アマヤドリ

サンドアート


アンビリーバボーでみて知った、サンドアート。
惹かれたのはこのひとが
「自分の手の動きによって何かを表現したい」
と言ったことだった。
絵の具の代わりに砂を使おうというのではなく、この手の動きを砂が描き出しているという発想。

実際このひとの手の動きがとても美しい。
砂を握ったとき指の関節がぎゅっと力強く曲がり過ぎないのだろう、多分。手首の動きが滑らかだ。
画面に触れる指は吸い付くようだったり、まさに風のようだったり。
そのタッチが産む輪郭はときに水墨画のようだし、ときにアメリカの劇画のようだし、シャガールのようだし、書のようでもある。
きゅっと潔く光のスペースを作ったり、ふと一部分を残してあっというまに羽根の翳りにさせたり。

なんとも滑らかな手の動きに見とれているだけでどんどんストーリーが進んでゆく。
いつのまにか連れてゆかれて、平行して走っている私を、裏切ってどきどきさせてくれる。


何年か前からストップモーションアニメとか、クレイアニメを面白いなあと再認識するようになった。
子供の頃はそのめまぐるしさをただただ探るようにじっと見ていた。
今はこの何秒間に色んなアイディアや試行錯誤やセンスが詰まっていることに、口を開けながら見てしまう。

春にヨーロッパに行ったときに急にパリに行くことになった。
お友達の弟さんがパリでグループ展をひらいていたのでそれをみに駆けつけたのだ。
その作品の中に、鉛筆で描いては消しゴムで消したり、また描き足したり、というのをコマ撮りにして作品にしているアニメがあった。
これがとても面白くて、わくわくしながら見守った。

まったく手の関わっていない、人形や絵が主役のストップモーションもいいけれど、動かしている手が見えるものって面白いなあ、と思うようになった。
これは友達がくれたヒントがあったうえで、手の表現に視点をおくようになったことが大きく影響しているのだけれど。

こういう、アートと演じることがちょっと混ざっていることが好きなんだろうな。
その時間にぎりぎりに詰まった演出、かたちには残らないその箱のなかだけのできごと。
だけどからだとあたまに、なにかじっくり染みて残っている。

あっと瞬間に沸騰させるようなエンターテイナーとしての才能が私には今のところない気がする。
でもだから、惹かれるんだろうな。