被写体/河口湖ロケ

写真を撮ってみたい、と言っていただいて、はじめはほんのやさしい冗談かと思っていた。
なにしろ私は被写体としてはまったくの素人だし、だいたい写真というものがとても苦手だから。

小さい頃から私は自分がどう見ても男の子にしか見えないことを十分に承知していた。
歩いていてもバスに乗っていても、学校に行ってもお家にお客さんが来ても。
私はいつもぼくであり、おにいちゃんであり、ぼっちゃんであった。
赤いランドセルをしょってるじゃんかおばちゃん目が見えてんの??と腹を立てつつもあまりの頻度に私の自信もすっかり陰りだんだん、「私はおんなのこだよ」と主張することもやめるようになった。まあ、男の子でもいいか、と。順応性があるのが私のいいところである。
まあでもそれでもこころのうちではしつこく、かなり大きくなるまで私のどこが男の子に見えるんだろう?と疑問に思っていた。
あるとき、自分の幼稚園の頃のお泊り会の写真を見たときのこと。
ピンクの可愛いパジャマを着た女の子たちの中に水色のパジャマの男の子。他の写真を見ても、必ずその子は女の子に混じっている。
やれやれ、こんな時期から女好きはおんなのこの中に混じりたいものなのだなあ…わはは、と笑った次の瞬間、それが自分の姿だということに気づく。
これが、私。
どう見ても、男の子だ。
小学校のときの写真も、中学校の時の写真も、可愛らしい女の子たちに混じってひとり、間違って付いてきちゃった弟、みたいなのが写ってる…とよく見ると、私なのだ。
うん、そうだね、おとこのこだ。
間違いない。
いつしか私はその事実を受け入れるようになった。
高校のころからちょっとずつ脱皮して、やっと今なんとかおんなのこの体裁を整えてきたかもしれない、と自分では思っているけれど、分からない。思い込みの激しいわたしのことだから。
…というしたじきがあるせいか関係なくか、とにかく写真が苦手だった。
いつもふざけて写ってる。

カメラマンのJさんはもちろん私がまったくの素人であることをご存知だ。
だから私にそういう、いわゆるモデルさんとしての期待をお持ちなわけではない。
うん、よし。
私はわたし、私にしかできないことをするというのも、これは踊りをおどることと似ていて、面白いんじゃないか?
そう考えて、お話を受けることにした。
もちろんそれ以上に、Jさんの腕が私をわたしじゃないくらいに美しく、おもしろく撮影してくださるのではないかという期待も大きくあって。
実際撮影していただくことは面白かった。
私はただそこにいればいいのではない。そのことは分かっている。
その風景の中にどんなふうに存在すればいいか、全体像を額に投影する。
これは、踊るときと同じ。
私に当たる光や風、私から流れる空気がどちらに向かっているかを感じる。
これも、踊るときと同じ。
カメラマンがどんな角度を求めているのか、どの立体が一番見栄えがいいのかを読み取る。まるでカメラを覗くその視線と自分を繋ぐように。
これは、空手で対峙してるときと同じだ。
面白い!
笑顔とかはちょっとひきつりそうだったけれどJさんと、一緒についてきてくれたNさんが和ませてくれたからふっと、やわらかくなることができたし。
できあがりはとてもやわらかくて、自然で、わたしらしかった。と思う。
なかなかできないこんな経験をとてもありがたく思いました。

すぐそばのハーブ園。
あつくてあんまり回れなかった。
色とりどりの花を撮影していた、ミニカメラマンたち。

一緒に行ってくれたNさんと、山中湖を見ながら。
(あ、お昼を山中湖で食べたのでした。)
夏休みを実感した、一日。