地と天のむこう | アマヤドリ

地と天のむこう



日本の動きは西洋の動きと違って平面的だと思っていた。
姿、面を2次元で印象づけるようなイメージがある。
体のつくりも顔のつくりも西洋のひとに比べたら平面的だからかな。
日本の舞台ってもともとはあまり円形だっり奥行が深かったりしないんじゃないだろうか?
見せる面と、そうじゃない部分をはっきりと分けているような、気がする。
…気がするだけでこれは勉強不足でわからない。

だけど日曜日に舞をみたり、それから去年の歌舞伎を見ても思ったことだけれど、そこには微妙なねじりの美しさがある、と思った。
そしてかたちそのものの美しさよりも空気の隙間、かたちとかたちの間の、物体のない余白の部分。


能の舞台の下には瓶が埋められているんだよとおばあちゃんが教えてくれた。足を踏みならす時にはその瓶の場所を意識するのだという。
その時、友達にきいた鼓をやるひとが武道のワークショツプに来ていたときの話を思い出した。
武道に必要な相手との間や、読み取ること、相手とのコンタクトの仕方は踊りに深くつうづるものがあって、武道からダンサーが得るものは大きいらしい。私も興味があるのだけれど…。
そこに鼓を打つひとが参加していたらしく、ただやみくもに高く鳴らそうとするよりも求める先と自分をつなぐことでよりクリアな音が飛ぶようになった、という話を聞いた。
能を見ていて、やはりその床のしたの瓶に自分の踏み抜きの音を繋げようとすることで、こちらに伝わってくるものがずいぶん変わるのだろうということをずっと想像していた。

床のしたに瓶がなくても踊るときに頼っているこの床のもっと下、地のはるか、そして天上のはるかとむすびつくことができたら、その循環のなかに見ているひとを取り込むことができるのかなぁという気がした。


それにしてもどうして能楽堂もお相撲の土俵も、おうちのなかにあるのにちゃんと屋根があるのだろう。
屋根のうえにはぎりぎりになんの変哲もなく天井がある。
西洋のひとだったらあそこに空の絵を描くのだろうか…というのは単純すぎるけれど、
そこに日本の面白さがあるような気がした。