藤田くんは、今。
昨日の雨風でハナミズキは半分がおおかた吹き飛ばされてしまった。残っているはなびらは大きく広がり、白っぽい肌を見せている。
つつじは葉っぱが濃い緑だし花も鮮やかで強いけれど、ハナミズキは雲の多い空に溶け込むように葉も、花も、薄くて眩しい。
からだのことがわかっているひとほど「体」とか「身体」とかではなく「からだ」と書く、という文章をどこかで読んだ。
わかっているからかどうかはわからないけれど、私もやっぱり大事なことばほどひらがなで書くことがしっくりくるような気が、最近しているのでそうだなぁと思う。
身体とか体と書くのと、からだ、というこの3文字で書くのとでは温度が違う。
速度も違う。
速度が違うから温度が違うのかもしれない。
からだとかことばとかこいびととかたいせつとか、そのうち全てひらがなで書くようになってしまったらまるっきりこどもの作文だなぁ。
こどもといえば今日父と母が朝からなにやら大掃除をしていて、私が小学校の時に書いた絵が出てきた。
昔から私はちょっと優等生みたいなところがコンプレックスで(その反動でか今はものすごくルーズで困るんだけど)、絵に関しても正確だとは思うけどはみ出せないようなところがあって、面白みに欠けるような気がしていた。
クラスにとても破天荒な男の子がいて、その子は人の顔の色をみどり色で塗っちゃうしありもしないものを描くしでよくみんなには笑われていたけれど、私は密かに、こいつは侮れない、と、何だかおおきく衝撃を受けたり、うっすら負けたような気持ちになったりしていた。
だけど今私の絵を見ると、妙に緻密に黒板の文字を写し取っていたり、モデルの男の子の手が鼻くらいのちっちゃさだったり、フローリングの木を全て違う色で塗っていたり、ちっともただお行儀がよいだけではなくけっこう破天荒だった。
母と一緒に笑いながら、あの男の子は大物になったんだろうか、と懐かしく思い出した。
こどもの頃はたくさん漢字を覚えて、効率よくものごとをインプットする訓練をずうっとしてきていたような気がする。
全てのものごとには段階があってこの次はこれ、そしてあれ、というように、用意されたことを踏んできた。
おとなになって、なにももう選ばされず、だけどすべてのことに手がのばせるのだとわかったとき。
ふっと弛んでまた踏みしめるような、ゆっくりと丁寧に味わうような、そんなところに戻ってこれたのだとしたら、うれしい。