光と時間のトンネル
こんな日には四次元のことを考える。
なんだそりゃ。だけど。
正確には私には四次元がなんなのかよくわかっていないのだけれど。
たぶんひとびとに、自分に、光るもやがかぶさっているように見える気がするから。
電車に乗ったり歩いたり、小さい頃からずっと成長してきてる私、もちろんヨーロッパに行った私。それは全部連続して私の身体と時間にくっついて体のかたちのトンネルみたいに、延々と続いている。終点はお母さんのお腹だ。
猫や犬がもうそこにはいない仲間の匂いを感じるみたいにずっとそれをたどってゆけるとしたら、私は私のたどってきたすべての場所、すべての時間に帰るこまとができる。存在していることになる。
でもその私はいつものっぺらぼうだ。
トンネルだから。
金太郎飴に似ているな。
時間を止めて、区切らないかぎりその瞬間の顔はわからない。
時間ってなんだろう。
やっぱり私には、時間は光だし光が存在なんだよな。
走ってもはしっても追い付けないところ。
光の速度で走っても光はお隣で待ってはくれないし、
その時間についてゆきたくても身体のなかでは時間が待ってくれることはない。
それともぜんぶ、
名付けたことこそ発端で、
ほんとうはそこに不思議なんかないのかもしれない
いつかはっと、ちゃんと辻褄が合うのかな。
わたしのからだのなかで。
