E-mail | アマヤドリ

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フリーメールアドレスを取得してそれを昨日友達にお知らせした。
たいした期間携帯を止めるわけでもないのにしばらく会っていなくてちょっと元気かな、って気になっている友達にまでメール。年賀状みたいだなあ。


メールって便利だけれど怖いと思う。去年はそれを実感し、とても反省した年だった。


会ってお話をしてもなかなか自分の言葉はうまく伝わらない。まず、自分の脳みそから取り出すときにズレが生じ、言葉に変換したときにまたズレて、それを相手が受取るときにズレるし、それを理解しようとしたときにまたズレる。
伝えるって、なんて難しいんだろう。でも、そうやって何かに包まったものが相手に手渡されることがきっと色んなものを産むんだろう。想像力とか、敬意とか。だから、いいのかも。
直接話していれば表情や声の色というほかの情報もあるわけだからそのズレを修正する作業はやりやすい。
右脳と左脳ってすごいなあ。よくわからないけれど、左脳がばしっと受け取ったその言葉という情報を、右脳が少しずつぶれた映像を重ね合わせて、微調整して、ぎちぎちしないところに持ってゆく感じ…かなあ。すり合わせて、色んな自分の中のデータとか感情のサンプルとかを持ち出して、きっと自分なりの「受取ったもの」を構築してゆくんだろうな。

人間のそういう適応能力ってすごいなあと思う。

でも多分その表情とかトーンを感じることの出来ないメールだと、その修正をかける能力が変な一人歩きをすることがある気がする。一度その横道に入ると何かの拍子に気付かない限り永遠に本筋から離れつづけることになりかねない。
テリトリーを追われて家に帰れなくなっちゃう猫みたいに。
角度を間違えて飛びだしたロケットが永遠に冥王星に辿り着けないように。

立体交差点みたいに永遠に交わることがないその道を邁進する姿を、伝えようとした側は冷ややかに眺める、ということが結構あるような気がする。
怖い。



私は自分がよく悪気なく失敗をする粗忽者なので、割と相手のそういう失敗には寛容なんじゃないかと思う。

でも他のあらゆる経験と同じで、実際失敗したり迷惑をかけられたりしないと、なかなか深いところでは理解が出来ない…気がする。それは私が痛い目を見ないと分からない、想像力の欠けた人間なのかもしれないけど。

まあだから失敗は大きな収穫。
でも収穫はあっても、取り戻せないものもある。

あーあ。そのことを考えると外を歩きながらでも、ぎゅっと目をつぶりたくなっちゃう。