ウカ | アマヤドリ

ウカ

今日はとてもある人を見直した。
がぜん、興味が出た。
同時に自分を顧みて恥ずかしくなった。
私はからっぽか、と。

私はすぐ人をみくびる。
馬鹿にするとか下に見るとかいうことでは勿論ない。
ただこんなところかな、という位置のようなものを設定するのだろうと思う。
上下じゃなくて、種類分け。
そう書くと途端に失礼な感じがするが、そういう意識はなくてただうまく付き合えるようにとの自己防衛でもあるのかもしれない。

みくびる、というより想像力が正しく働かないといった方が正しいかもしれない。表面しかみていないのだからそれも当然のことだろう。

ちょっとした反応や、しぐさ、例えばだけど仕事のスピード、気配りやなんとなく受ける印象。
それを総合して私の中では「その人像」ができあがる。
だから私はそのレベルに合わせて話をする。合わせた「私」で付き合う。
表面で付き合ってる限りその想像から出ることはない。多分、向こうもそれ以上私に近づく事はない。
そういう場所にとりあえず置いておく。

そしてたいていの人はその場所に置かれっぱなしだ。
忘れられたチェスの駒みたいに。
…置かれっぱなしなのは私なのか。


興味を持っちゃうときっとそこにたくさんエネルギーを使うからなんだろう。
好きになっちゃうのも嫌いになっちゃうのも怖いのかもしれない。

多分、私は踊りをずっとやっていて、飲み会や友達と会うことよりも稽古を優先してきた。
残りのわずかな時間でこいびとにも会いたい。本も読みたい。
だから自然と付き合いも限られてくる。
それは自分が選んだ事。でも失ったものも、得たものも、ある。
寂しい思いも味わった。でもその逆もある。
何を選んだってきっと似たようなことはある。これは考えても意味のないこと。悲しむのはただの私の弱虫な心。

中途半端に他のものに情熱を注ぐのは失礼な気がする。

私の中には大事なものはとても少なくて、大きい。
多分浮気心に友達と遊んでも、他の勉強をしても、私はこの大事なものに帰ってしまう。
とても辛そうにしている友達の「今」を聞いてあげることができても、私はまた踊りに没頭してしまう。
そんな風に、自分を必要以上に冷たい人間だと思うことが多かった。
大事な友達を真剣に大事に思っているのも私なんだけれど。
もうひとつの大事に、その瞬間は含まれているはずなんだけど。

中途半端に大切なんだ、っていう振りをできない。
ならば関わらないほうがいい。


でも、そこにたどり着くために私は色んなことをうすっぺらに見てきてしまったのかもしれない。
それに気づいていたから、余計に深入りするのを避けていたのかもしれない。
うすっぺらな私に、私は気づいているから。
色んな理由をつけて私は逃げてきたのだろう。


そんなことに気づかされて今日は打ちのめされた。

こんな打ちのめしが最近良くあるから、参っちゃうけど、いいことだと思う。
変わりたくてもがいている私にちゃんとヒントをくれている。
塗り固めることなくいられるほど私は自分の厚みを信じていない。
土台を作らなきゃ。
いまさらだなあ。
だから、「参っちゃう」なんだけど。

参っちゃうけど、新しい自分に会いたい。
多分私にとってだけの、だけれど。