20時のcafe | アマヤドリ

20時のcafe

昨日は家に帰る前にどうしても自分だけの時間が欲しくてわざわざ家の近くのカフェに入った。
おなかがすいていたからさつまいもパイとキャラメル味のスコーンと豆乳黒ごまバナナスムージーを頼む。

直前に本屋さんで手に入れた『残酷な神が支配する』を読もうかなあとも思ったけれど、『レベル7』の続きを読むことにした。


空の見えるカフェが好きだ。
やわらかい音でBGMがかかっているカフェが好きだ。
分厚いカップに飲み物を入れてくれるカフェが好き。

残念なことにそのカフェはそういうカフェではなかったけれど。

先に食べてしまってからかなり真剣に本に没頭する。素敵なカフェすぎると、おしゃれな人が来たり雲や車の明かりの変化に目を奪われすぎてなかなかこうは集中できない。

おじいさんが隣で煙草を吸ったり灰色のストールをちょっとずらして肩に掛けたお姉さんがフランス語の雑誌を読んでいたり。
誰も言葉を交わさず、その空間を共有する。あたたかな呼吸をしながら。
どこかよそ行きな気持ちのする背中のぴっと伸びる場所も好きだが、空間が拡散しないで自分だけを包んでくれる場所も好きだ。誰も知らないし誰もが自分のことをしている。


本を読みながら、どうして小説の中ではこうも簡単に人が死んでしまうんだろうと思った。まるでそこからしか話が始まらないみたいに。

誰かが作り上げた人の作り事の死。
そのひとり芝居に引きずり込まれているのだけれど。


でも、実際も、こんな風に簡単に人はいなくなってしまうのかもしれない。
だから、こんな風にたくさんの文字を費やして、虚構に変換して想いを綴るのだろう。