『幻惑の死と使途』森博嗣 | アマヤドリ

『幻惑の死と使途』森博嗣

名前には魔力がある。
日本にも外国にも、その名前を呼ぶことで悪魔や神や妖怪から逃れられるというお話がいくつもある。

名前には拘束力があるのだ。


世界はわからないものだらけだ。真っ暗闇やたくさんの物音。揺れる木の陰やうごめく動物たち。光や匂いや…きらきらする透明な水やごつごつした黒い石。たくさんのもので溢れている。名前を付けることで人間は世界に存在するそんなものごとや時には混沌からことがらをひとつずつすくいだした。名前がなかったらこんなに色んなものを整頓し、理解を深め、記憶しておく事はできなかった。
名前をつけるという行為は、人間の概念の他の部分も広げたり深めたりしていったのだろう。
名付けは人間の発見した魔法かもしれない。

そして一方で人間はその“名前”に縛られていった。
ものごとを整理し分類するためにつけた名前は逆に人間に足かせを嵌めた。一度捉えられたらそれから抜け出すのは容易いことではない。

例えば「ストレス」という言葉がまだ今ほど使われていなかったのか私が知らなかっただけなのか…とにかくその頃、私は今ほどストレスを感じていただろうか。よくわからないもやもやを「ストレス」という言葉に収められて納得もしほっともしたかもしれないけれど、名づける事でその状態をはっきり形にし、その状態がごく弱い時にも「これはストレスかもしれない」と考えるようになった。
悪いことじゃなくても。
黄色は黄色で鹿は鹿。算数やブックエンドや約束や…名前を付けたことは自分の世界を限定した事でもあるのだ。




「動物は名詞という概念が理解できないんだよ」と登場人物の犀川先生が言った時、私はとても悲しくなった。本当に涙が出たくらいだった。
どうしてだろう。
可愛がっていた猫を思い出し、あの子は私とは違う世界に生きていたんだという事を思ったからだろうか。名前を呼ばれたのだということを分かっていないのにけなげに返事をしていたことを思ったからだろうか。それとも、自分の勝手な概念を押し付けようとしていたその傲慢さに気づいたからだろうか。自分の世界を破られた、赤ん坊の産声のようなもの?
わからない。

でもこのよく分からないこの気持ちは、名前を付けられないままでもいいのかもしれない。




著者: 森 博嗣
タイトル: 幻惑の死と使途


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